北朝鮮工作員高大基の話(R5.11.23)
令和5年11月23日木曜日「荒木和博のショートメッセージ」第1318号。渡辺秀子さんの夫だった工作員高大基の数奇な生涯についてお話ししました。
北朝鮮工作員の高大基。
高が工作員と知らずに結婚した渡辺秀子さん。
そして二人の子供、高敬美さん、高剛さんが拉致されています。
二人は日本国籍でない為に政府は拉致認定していません。2児拉致事件 - Wikipedia
高大基が代表を務め、工作員の拠点となっていたのがユニバース・トレイディング - Wikipedia
ユニバース・トレイディングを設立したのが金炳植 - Wikipedia
拉致事件が多発していたのは1970年代でした。
wikiによると1977年に金正日は工作員に手当たり次第に外国人を拉致しろと命じています。
1973年12月頃:渡辺秀子さん(当時32歳)(工作員高大基と結婚・拉致後殺害されたか?)
長女 高敬美さん(当時6歳)長男 高剛さん(当時3歳)
1977年9月19日:久米裕さん(当時52歳)
1977年10月頃:松本京子さん(当時29歳)
1977年11月15日:横田めぐみさん(当時13歳)
1978年6月29日:田口八重子さん(当時22歳)
1978年6月頃:田中実さん(28歳)
1978年7月7日から8日:地村保志さん、濱本富貴恵さん(両人とも当時23歳)
1978年7月31日:蓮池薫さん(当時20歳)奥土祐木子さん(当時22歳)
1978年8月12日:市川修一さん(当時23歳)増元るみ子さん(当時24歳)
1978年8月12日:曽我ひとみさん(当時19歳)曽我ミヨシさん(当時46歳)
1979年頃:金田龍光さん(当時26歳)
1980年6月:松木薫さん(当時26歳)
1980年6月:石岡亨さん(当時22歳)
1980年6月頃:原敕晁さん(当時43歳)
1983年7月頃:有本恵子さん(当時23歳)
拉致された人は日本海沿岸だけでなく、各地で無理やりや騙されて北朝鮮に行き、帰って来れなくなっています。
上記の殆どは政府認定の拉致被害者ですが、認定されていない被害者がこの何十倍もいます。
さて1970年代の朝鮮半島はどんな状態だったのでしょう。
1973年には来日中の金大中氏が東京で拉致された事件がありました。
1974年8月15日には朴正煕暗殺未遂事件があり、朴氏の妻 陸英修さんが犠牲になっています。
そして1979年には朴正煕暗殺事件が起こっています。
あの頃の朝鮮半島はきな臭い事件が多発し、かなり混乱していたと想像します。
これも北朝鮮の韓国に対する工作、対南工作の影響が大きい様です。
そして朝鮮戦争の影響が日本の一般人の拉致に繋がり、それが今も続いているのです。
換言すれば拉致被害者の方々は時代に翻弄され、そして人生を滅茶苦茶にされたとも言えます。
政府は国民の命と財産を守る責務があるのですから
拉致被害者を取り戻せないのはその責務を政府が自覚していないとも言えます。
また拉致事件が多発し、多くの日本人が今なお北朝鮮に拉致され続けているのに未だにスパイ防止法もない日本。
以前から日本は「スパイ天国」だと揶揄されていましたが、それでもスパイ防止法を制定出来ていません。
スパイ防止法があると困る人が政治家の中にいるのでしょう。
親中派、媚中派、親韓派、そしてまさかの親北派も?
そうでなければとっくの昔にスパイ防止法が出来ていたと思います。
※参考:高大基について⇩