大正時代の坪内逍遥からはじまり、昭和の太宰治、小林秀雄、大佛次郎、吉本隆明と各時代の実朝論を見てきました。この「実朝を識る」シリーズもいよいよエンディングで、坂井孝一氏、五味文彦氏がそれぞれ書いた『源実朝』により平成の実朝論を考えてみました。両氏のアプローチで共通しているのは『吾妻鑑』の記事をベースにし、それを『愚管抄』等京都人の書いた日記で検証し、『金塊和歌集』の歌で実朝本人の心の動きを探ろうとするものです。ご存じ通り『吾妻鑑』は北条氏が創作したものですから、その内容をすべて鵜呑みにするわけにはいけません。そうすると『現代語訳 吾妻鑑』を編著し、その内容を熟知している五味文彦氏の『源実朝』がお薦めかもしれません。
では論点を私のなかで未解決の3点に絞ります。一つ目は唐船建造による渡宋計画の真偽。二つ目は異常な官位昇進の背景、最後は公暁の実朝暗殺における黒幕の存在についてです。
最初の唐船の話ですが、これは両氏とも史実そのものは否定していませんが、創作と事実が混ぜごぜのようで、ほんとうはどうなのか?という私の疑問は解決しませんでした。円覚寺正続院前にある佛牙舎利塔の存在が引っ掛かります。実朝渡宋の願いは事実だと思いますが、唐船の建造は創作であるというのが、私の考えです。
二つ目の異常な官位昇進の話は、最後の公暁の動きとも絡みますが、実朝の後継者として後鳥羽上皇の皇子を希望した実朝、政子、北条氏の一連の動きとして捉えています。我が子を将軍とする後鳥羽上皇の思いからすれば、実朝を出来うる最高位にしたかったのでしょう。
また公暁にすれば、将軍になるという一縷の望みも絶たれたのですから、その思いは如何ばかりかと思われます。また最後の公暁による実朝暗殺の黒幕についてですが、公暁による単独犯説が有力のようです。私が以前書いた北条泰時黒幕説は妄想すぎましたか・・・。
五味文彦氏は『源実朝』の《おわり》で、実朝から影響を受けた人物として北条泰時の存在に触れています。我が意を得たり。私がいま最も注目する人物です。ただ本人に関する資料が少なく、その人物像がベールに包まれていますが・・・。もう一人は、写真の京都大通寺にいた実朝の妻、本覚尼についてです。長寿の人でその存在が気になります。