『花園』という冊子の3月号を読んでいたら「便(すなわ)ち是れ人間の好時節」というタイトルのコラムがありました。静岡県平田寺の竹中住職が書いたものです。これは『無門関』の19則「平常是道」にでてきます。
趙州禅師と師の南泉禅師の問答。趙州禅師が南泉禅師に「如何なるか是れ道」と問えば、南泉禅師が「平常(びょうじょう)心是れ道」と答える問答です。さらに趙州禅師のつっこみがあるのですが、それは『無門関』を見ていただくとして、最後に無門の漢詩が載せられています。
春有百花秋有月 夏有涼風冬有雪(春に百花有り、秋に月有り、夏に涼風有り、冬に雪有り)
若無閑事挂心頭 便是人間好時節(つまらぬ事を心に掛けねば、年じゅうこの世は極楽である)
閑事とは、『広辞苑』によれば、急を要せぬ事。実生活に役に立たない事。無駄な事です。要は最近よく使われる不要不急な事ですね。つまらないことに囚われなければ、季節の愉しみをそのまま享受できる。これこそ人間の好時節というもの。それなのに雑事や閑事に心奪われて愉しみを逃しているのが私たちの日常であると、解説にありました。
我が身を振り返ってみますと、桜が咲けば名所に花見に出かけたい。繁華街に出て飲み歩きたい。大勢でカラオケに行き、格好よく歌いたい。美味しいフレンチも食べたい等々・・。よくよく考えてみれば周りの人がそうしているから自分もしたい。つまり閑事に心頭をかけているわけです。そうしないで日常を過ごすことも大切かもしれませんね。
写真は春一番が過ぎた日の夕暮れの富士山。日々富士の姿は変わりますが、富士山そのものはいつもそこにあります。閑事に囚われず、悠遊と日常を過ごしたいものです。特に緊急事態宣言が出されている間はなおさらです。