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人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る ーー舘 隆志氏の《禅と鎌倉》講座ー

2021-03-21 13:23:39 | 日記

3月20日。鎌倉芸術館で開催された《禅と鎌倉》という講座を受講しました。講師の舘先生ですが、毎月送られてくる『花園』という冊子にコラムを書いており、どんな話が聞けるのか楽しみにしていました。講座を受講し、90分程度の短い時間にもかかわらず、禅と鎌倉の関わりついて良く纏められ、これまで疑問だったことが少し理解できた気がしました。その中で興味を持った話をメモ代わりに紹介させていただきます。

まず禅語の「以心伝心」。心でもって心を伝えるという意味ですが、形のない心をどう伝え、伝わるのか・・・。これは簡単には理解できませんね。

次は栄西と道元そして蘭渓道隆、無学祖元の関係です。栄西と道元は師弟関係にあり、共通の師は園城寺公胤(こういん)。この方は実朝を暗殺した公暁の師でもあります。ところで公暁(くぎょう)は(こうぎょう)と読むのが正しいようです。道元の宋への留学を勧めたのが公胤で栄西は2度の留学の経験を道元に教えています。さらに栄西、道元、蘭渓道隆、無学祖元は中国の天台山景徳寺で学び、それぞれの師から法脈を受け継いでいます。さらに蘭渓道隆は道元などの活躍をみて自発的に日本に来ました。滞在している大宰府から蘭渓道隆が道元に宛てた手紙も残っています。北条時頼は最初は道元に建長寺を任せようとしたのですが、道元が固辞したためにその役目は蘭渓道隆が担いました。写真は蘭渓道隆がはじめて入院上堂した大船にある常楽寺です。その後蘭渓道隆示寂し、北条時宗が円覚寺開山に無学祖元を請来したのも天台山景徳寺の縁です。

そして江戸時代に鎌倉仏教は勢いを失いましたが、なかでも円覚寺の誠拙周樗が人を育てることに尽力しました。そして明治時代になり禅の国際化に力を尽くした人達がいます。円覚寺の初代管長の今北洪川とその弟子の釈宗演、鈴木大拙です。釈宗演は慶応大学からスリランカに留学しました。鈴木大拙は釈宗演の通訳。ZENという言葉は国際標準になっており、台湾やノキアのスマホにはZENというブランドもあるとのこと。

最後に講座を受講しての感想ですが、舘先生のように研究テーマを深く研究されている方の話は個々の人物や事象などの繋がりが整理されおり、頭にスッと入ります。やはり知識を得るには書籍やネットの情報だけでは駄目ですね。専門家の話を聞く大切さを痛感しました。

 

 

 

 

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