人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る --杉本寺と光明皇后--

2023-06-28 13:35:54 | 日記

杉本寺は坂東三十三観音霊場の一番札所です。最近参拝する機会があり、ちょっと深堀りしてみました。お寺の由緒によりますと、杉本寺は光明皇后が開基で開山は行基菩薩とされています。奈良時代までさかのぼりますので相当古いのですが、周りの人は誰も信じようとしません。本当に根拠のない話でしょうか?ここは妄想を膨らませないといけません。まず杉本寺の隣に浄妙寺があり、浄妙寺の東側に鎌足稲荷があります。この鎌足稲荷は藤原鎌足ゆかりの社で、藤原鎌足がこの地(鎌倉?)に来た時に鎌を埋めたとされる場所です。本当に来たのか?

茨城県鹿嶋市には鹿島神宮があり、その近くには鎌足神社があります。神社の由緒をみますと、鎌足の父親は鹿島神宮の神官で藤原鎌足はかの地で生まれ、後に飛鳥に上ったと書かれていました。鹿島神宮の歴史は古く、神武天皇のご創建です。まさに神話の世界ですが、奈良の春日大社は鹿島神宮のご祭神を勧請していますので、全く根拠のない話ではありません。当時鹿島神宮まで行くには、古東海道で鎌倉に入り、三浦半島を横切って走水から船で房総半島に渡り、陸路または海路で鹿島神宮まで行ったようです。遠く蝦夷地を攻める最前線に鹿島神宮があり、途中の鎌倉が兵站地になっていたという伝承もあります。鎌(武器)の倉=鎌倉、大きい蔵=大蔵という地名が残っているのも偶然ではないと考えています。杉本観音は古くは大蔵観音堂という名前でした。杉本寺の背後の山(大蔵山)一帯は杉本城址であり、中世では三浦一族が治めていましたが、私はもっと古くからここに館や砦があったと考えています。山頂付近にあった観音堂が後に現在の場所に移されたと『かたちの美』に記されています。

ご存じのように光明皇后は藤原不比等(淡海公)の娘で聖武天皇の妃。藤原鎌足はお祖父さんになります。藤原鎌足がいたこともある鎌倉の地が、聖武天皇の時代には乱れ、それを心配した孫の光明皇后が平安を願い寄進して観音堂を創らせた。この光明皇后にしても同時代に活躍した行基にしても、実際に鎌倉の地を訪れたことはないでしょうが、遠地にいても十分に大旦那の役割を果せた筈です。歴史に記録がないということは、後世に残された伝承を肯定することも否定することもできない訳ですから、最初からあり得ない話だと決めつけない方が良いかと、最近考えるようになりました。

 

 

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