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先日、北条泰時の生涯というテーマで話す機会がありました。ご存じの通り、北条泰時は鎌倉幕府の執権で御成敗式目を制定したことで知られています。ただ残念なことに『北条泰時』と名のついた本は検索してもほとんど見つかりません。吉川弘文館の人物叢書『北条泰時』(上横手雅敬著)とあと一冊くらいでしょうか。泰時が執権になってからは殺戮の歴史がなく、面白みに欠けるからかもしれません。やはり読者は手に汗握る戦闘シーンを好みます。私はあんまり好きではないのですが・・・。そんな泰時の生涯の中で、何と言ってもクライマックスは承久の乱での宇治川の合戦かと思います。承久3年(1221)6月の出来事です。まさに日本の歴史を変えることがこの数日間の戦いで起こりました。鎌倉幕府軍が治天の君である後鳥羽上皇軍と戦い、戦勝し、6月15日に入京しました。泰時が亡くなったのが仁治3年(1242)6月15日なので、偶然とは言え、この日から泰時の21年間の試練に満ちた最終章が始まったと言ってもいいでしょう。
この宇治川ですが歴史上5回ほど合戦が行われています。場所は宇治橋のかかる宇治平等院の近く。最初は治承4年(1180)に以仁王と平氏打倒に立ち上がった源頼政がここ宇治川の戦いで敗れ、平等院で自刃しています。2回目は治承・寿永の乱で源義経軍と木曽義仲が戦い、義仲軍は敗走しました。3回目がこの承久の乱。4回目は足利尊氏と楠正成の戦い。5回目は織田信長と足利義昭との槇島城の合戦です。何と言ってもこの宇治橋を渡らなければ京都に入れず、そして当然に攻める側は平等院に立てこもることになります。ご存じの通り、平等院は平安時代(1052年)に藤原頼通によって建立されたもので、鳳凰堂と本尊の阿弥陀如来坐像と共に国宝になっています。この付近が5回も戦場になっているのにも関わらず、2つの国宝が無事に守られてきたのか?ある資料には奇跡の出来事と書いてありました。
さてここからが本題。いろいろな考え方があるかと思いますが、私は鳳凰堂に安置されている仏さまが阿弥陀さまだからと考えています。平安末期には末法思想のなか極楽浄土の考え方が広まりました。平等院はその象徴的存在です。まさに戦っている武士たちにとって阿弥陀さまを破壊してしまえば、もし死んだとき、極楽に導いてくれる仏様がいなくなってしまいます。無信仰の現代ならともかく、命令されても絶対に阿弥陀様に弓引くことはできません。楠正成も防衛線を作るのに鳳凰堂周辺の建物は壊しましたが、鳳凰堂と阿弥陀様には手をつけませんでした。もしかしたら鎌倉の大仏様も露座のまま、今日まで無事だったのは阿弥陀様だったからかもしれません。
ということで、今回のタイトルは「阿弥陀様は凄い!!」でした。
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