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週末の読売新聞夕刊に「鎌倉時代オーロラ最接近」、藤原定家が目撃「赤い光」という記事がありました。内容は国立極地研究所などチームがオーロラが日本で最も見えやすかったのは鎌倉時代の1200頃だったと発表しました。それを裏付ける内容が藤原定家の『明月記』に出て来るという話題です。『明月記』には、1204年2月の2日間、京都の夜空に「赤気(せっき)」(空の赤い光)が現れ、「山の向こうの火事のようだった」という趣旨の記述があると記事には書いてありました。当時はオーロラなんて科学現象を知るはずもなく、その異常さに大変びっくりしたのだと思います。
さらに記事には、オーロラは、太陽から噴き出した粒子が、地磁気に沿って地球に降り注ぐ際に大気が発光する現象。また地磁気は時代によって変動し、オーロラ帯の位置もずれ動くとしています。鎌倉時代にオーロラが日本の京都でも見られるほどの地磁気の乱れ(磁気嵐)あったとすれば、今なら停電など被害が生じる恐れもありますが、電気もない鎌倉時代にどんな影響があったかは妄想するしかありません。総務省より「電波の人体に対する影響」という研究結果が発表されていますが、携帯電話などの微弱な電波の影響を調査したものであり、地磁気が乱れるほど太陽から出る電磁波の人間に与える影響までにはふれられていません。多分皆無ではないと思われます。
また『吾妻鏡』の1204年2月前後の記事に異常気象の記録はありません。そこで当時の事件を拾ってみることにしました。建仁3年(1203)9月に比企氏の乱が起き、将軍頼家は出家し、実朝が将軍になります。建仁四年(1204)3月には改元され元久となり、7月には頼家が修善寺で殺害されました。この大事件とまれにみる地磁気の乱れを関係づけることは無意味なことですが、地磁気が人の心を乱したのではないかと妄想してみるのも面白いかもしれません。
写真は西の空の夕焼け。オーロラは北の空に見えたはずで、色は朝焼けや夕焼けと同じ長い波長の赤色になります。
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