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鎌倉での北条泰時ゆかりの場所の一つに小袋谷にある成福寺があります。『かまくら子ども風土記』『鎌倉検定公式テキストブック』『鎌倉事典』(東京堂出版)等にほぼ同じ内容で書かれていますので紹介します。
浄土真宗西六条本願寺末。大船小袋谷所在。開山は北条泰時の末男泰次と伝える成仏。山号は亀甲山法得院成福寺。貞永元年(1232)に創建された。9世宗全のときから一時伊豆の北条に移っていたが、慶長17年(1612)11世西休によってこの地に戻された。鎌倉市内でも数少ない浄土真宗のお寺の一つ。
しかしながら、この泰次がいたかどうかはっきりしません。上横手雅敬氏の『北条泰時』には、建仁3年(1203)に三浦義村の娘との子である長男時氏が生まれ、建暦2年(1212)に安保実員の娘との子である二男時実が生まれ、泰時の男子は二人としています。ただ、ほかに公義というのがいたが、これは出家したらしいと括弧書きで書いていますので、ひょっとしたらこの子が泰次かもしれません。また成福寺の寺伝には、北条泰時が鶴岡八幡宮で国中の名僧を集め、仏教経典の研究をしていた時、その僧のなかに親鸞がおり、その時、泰次が親鸞に教えを乞い、親鸞から成仏という名をもらい、聖徳太子像をいただいたという話が残っているようです。親鸞(1173-1263)は建保2年(1214)頃から関東で精力的に布教活動をしており、貞永元年頃に鎌倉に来て泰次と出会ったという話のつじつまはあいます。
さて次は成福寺の隣にある厳島神社についてです。厳島神社の名前は、昭和になってから弟橘媛命を祀る吾妻社と市杵島姫命を祀る弁天社を合祀して、今の厳島神社になりました。それ以前は応神天皇を祭神として八幡さまが祀られ、成福寺の鬼門よけのお宮でした。またこの神社のある山は成福寺と同じ敷地にあり亀甲山と言います。亀の甲羅の形からついた名のようです。
この成福寺や厳島神社の近くには水堰橋があります。鎌倉時代には源頼朝の軍勢が、鎌倉に出入りする時には必ずここで勢揃いをし、隊列を整えてから行進をしたのだそうです。「勢揃い橋」⇒「せゐ志くはし」⇒「水堰橋」でしょうか?何れにしても鎌倉街道の分岐点であり、台と小袋谷を結ぶ大事な橋だったようです。この亀甲山の山頂から東をみると正面に常楽寺があり、北から西の眺望も開けています。この場所は軍事的にも重要な場所だったと考えられます。
写真はJR横須賀線の線路の近くにある成福寺の山門です。脇に鎌倉街道が通っており、往時の様子が偲ばれます。
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