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鎌倉の浄明寺に報国寺があります。竹の寺で有名でミシュランの星を獲得し、外国人にも人気のお寺です。本日、たまたまこのお寺で坐禅をする機会に恵まれました。純粋禅の世界を経験できよい坐禅ができました。
さて禅宗を伝えたのは、達磨さんの名で親しまれている達磨大師ですが、その達磨は禅の眼目として、挙げているのが不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏の四つです。その意味は「禅宗には、依るべき文字や経典はない。ただ自分というものをはっきり自覚して、仏になるだけだ」ということです。この仏になることが難しいのですが・・・。お釈迦様が入滅するときに説かれたお経は一切衆生悉有仏性というもの。これは「すべて生きとし生けるものは、例外なく仏性を持っている」とのことです。
臨済禅を日本に伝えたのは栄西で、その後、蘭渓道隆、無学祖元、大休正念、夢窓国師ら中国からの渡来僧が臨済禅を確立しました。その禅は宮廷や武士などの支配階級のもので、庶民には馴染みのない宗派でした。それを大衆にも分かりやすく『坐禅和讃』により説いたのが江戸時代に生きた白隠禅師です。『坐禅和讃』は「衆生本来仏なり」からはじまり、最後に「此の身即ち仏なり」で終る和讃ですが、京都の妙心寺では、坐禅に入る前にお釈迦様には般若心経、白隠禅師には坐禅和讃を唱えます。
この「衆生本来仏なり」の意味を考えるのですが、この仏の意味が分かりません。では人間は何か?人間の身体は地・水・火・風の四大要素の仮和合でしかないと説かれています。そして病気のことを「四大不調」、死ぬことを「四大分離」と言います。これはよくよく考えれば、人間の身体は量子の結合体で、個々の量子は電気信号によって結合しており、心肺停止や脳死はこの電気信号が停止すること。腐敗とは量子がバラバラになり、もとの地球の世界に戻ること言っているのではないかと思います。お釈迦様は「仏」=「量子(微塵)」と考え、今生きている人間は大宇宙のなかでは仮の存在でしかないと考えたのではないでしょうか?そう考えれば、長生きしたいとか、お金を儲けたいとかの欲などはとるに足りないものと思えてきます。
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