人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る --鎌足稲荷神社ーー

2021-01-09 10:58:30 | 日記

鎌倉の東部に浄妙寺がありますが、その浄妙寺の隣少し階段を登った先に鎌足稲荷神社の小さな祠が祀られています。御存じない方も多いかと思いますので、その由緒が書かれた銅板を書き写しましたので紹介します。

【御祭神】稲荷大神。大職冠藤原鎌足公は乳児の時、稲荷大神さまから鎌を授けられ、以来、常にお守りとして身につけ、大神さまのご加護を得られました。大化元年(645)、中大兄皇子(後の天智天皇)らとの協力のもと蘇我入鹿を討って大願を成就された鎌足公は、翌大化二年(646)東国に向かわれて、相模国由比の里に宿泊されました。その夜、「あなたに鎌を授けて守護してきたが、今や入鹿討伐という宿願をなし遂げたから、授けた鎌を我が地に奉納しなさい」との神告があり、お告げのままに鎌を埋納し、祠を営んでお祀りしたのが、当神社の始まりです。鎌倉の地名は、鎌足公が鎌を埋納したことによるとされています。お稲荷さまというとキツネをイメージする人もいますが、キツネは稲荷神社のお使いであって、稲荷大神そのものではありません。

全文を掲載しました。私は数年前、鎌倉の歴史を勉強しはじめた時には、ここに書かれていることを全く信じませんでした。しかし鎌足は東北地方の納めるために東国に出征した可能性はあります。実際、その前線基地であった下総国(千葉県)の香取神宮の祭神 経津主命、常陸国(茨城県)の鹿島神宮の祭神 武甕槌命は、中臣藤原氏の氏神で後に春日大社の勧請されています。現代人が考える以上に古代人の国内の移動は活発でした。古東海道は鎌倉から逗子を通り走水あたりから東京湾を渡り、上総、下総国、常陸を経て東北地方に通じています。その途中の鎌倉は中継地で武器などの補給基地になっていたかもしれず、鎌足が由比の里に休んだという記述も史実かもしれません。妄想はますます膨らむばかりです。

 

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