天草は、島原の乱の天草四郎時貞で知られるようにキリシタンが多く暮らす島でもある。
現在、キリシタンが島民全体の何割を占めているのかは知らないが、キリスト教会の近くに神社があったりする。
この日も天気は良くない。
崎津天主堂は海辺に近く、細い路地の奥に静かに建っていた。
ノンビリと猫ちゃんが日向ぼっこをする横で、お婆ちゃんが雑草を抜いていたりするので、時間がゆっくり流れている感覚だ。
私は信徒ではないので、遠慮気味に教会外観の写真だけを撮らせてもらった。
日本の寺の山門には怖い顔をした仁王様がいたりするが、教会は脅すのではなく笑顔で受け入れてくれる、そんな気さえする。
大江天主堂は、小高い丘の上にあった。
この丘の下にあった天草ロザリオ館へ入ってみた。
ここは、隠れキリシタンの資料館とでも云うようなもので、教科書でしか知らない実物の踏絵や隠れ部屋もあったりして苦悩の歴史を知ることができた。
私が九州を目指す気になったのは、あるものを見たかったからだ。
それは、干潮の時でないと見られないと云う貴重なものだ。
今日の干潮は14時。
逸る(はやる)心は、まだまだ時間には余裕があるのに私を一目散に現場へ導いた。
そのため、途中で寄る予定の轟の滝公園にある大水車へ行くのを忘れた。
道路沿いには、それを見るための車を3台程停められるスペースがあったのでそこへ停め 2時間後に訪れる干潮の時間をただ ひたすら待っていた。(続く)