お彼岸も終わりなので、お寺へ供物を片づけに行った。
そのついでに、近くにある弁天ケ浜へ寄ってみた。
ここはバス路線の終点でもあるので、行き止まり感がある。
啄木の歌碑横にある踏切は、今月で廃止が決まっている石炭列車の専用線路を渡るためのものだ。
海岸まで出てみると昔は無かったテトラポットが吹き出物のように散らばり「浜」と云うイメージでは無くなっていた。
海岸線のカーブに沿って石炭列車の線路が延びているのだが、その向こうに見える崖上には紫雲台墓地がある。
昔、この墓地の端に火葬場があって、私が大好きだった祖母が焼かれた時に煙突を見ながら大泣きしたことを思い出した。
祖父は私が産まれた時には既に亡くなっていて肖像画でしか顔を知らないのだが、祖母も両親も私のことを祖父に良く似ていると云っていたので、もしかしたら祖母は私の顔に先立たれた祖父の面影を探していたのかも知れない。
その祖母は「イチゴから来たんだよ」と話してくれた。その「イチゴ」が「越後」だと知ったのは祖母が亡くなってからだ。
5年程前の車中泊の帰途、その「イチゴ」へ祖母の思いを追って立寄った。
祖母が見たであろう景色を心に刻んだ。
この地から祖父と祖母の長い旅路が始まったのだ。
この「イチゴ」は、祖母にとって一度は帰ってみたい場所だったに違いない。
家の周りを散歩する時、杖を手にどこまでも続く空を見上げていた祖母の目には、懐かしい「イチゴ」の景色が見えていたのかも知れない。