高江雅人  竹工芸職人の独り言  竹工房オンセ

高江雅人  竹工芸を初めて37年、徒然なる出来事をアップしています。

可愛いお客様

2007年05月02日 18時40分13秒 | 友人

_008_7 大分市から鉄の造形作家の藤永さんがやって来た。もうこの人とも20年以上のお付き合いである。一番始めて、会った時はお酒の席でからまれて(飲むとちょっと癖が悪かった)「お前はなんか出来すぎている、こらっ。」とか言われたりして。少年の感性をそのまま今でも持続している人だ。彼の作り出す作品は思わず人を唸らせるものがある。力強くてなんでこんな捕らえ方ができるの?本当に感心する。九州でもナンバーワンの造形作家だと思う。横浜の赤レンガ倉庫で個展をしたり、知る人ぞ知る、存在だ。

_014_6_020_2 足を広げると4メートルくらいある蚊を作ったり、写真のようなアンコウ、シーラカンス。凄い発想である。

嬉しいことに彼の娘さんが私の「工房を見てみたい」とリクエストがあり、やって来たのだ。一番下の娘のひとみちゃんはしっかりした子で大学の学校見学のツアーを利用して、東京までの旅費を浮かし、学校見学の合間に就職活動をして、現在東京_003_8 で内装関係の仕事をしている。たいしたもんである。

こんな娘さんが世の中にどんどん羽ばたいて活躍してくれるといいな。今日は上のお姉ちゃんと私のバッグを持って記念撮影。「いつか、こんなバッグがもてるようになりたいね。」と、頑張ってね。私の工房にもこんな爽やかな笑顔は大歓迎。

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父を尋ねて3000里 3

2007年05月02日 05時50分45秒 | ルーツ探し

Photo_58 「あなたの叔父さんを知っている人が見つかりました」早速、教えて頂いた連絡先に電話をしてみた。「もしもし、新田さんですか?」「わしゃー、耳が聞こえんで息子に代わるわー」「いえー、おじいちゃんに聞きたいことがあるんですが?」 暫くすると息子さんが出られた。息子さんにここまでのいきさつを話し、通訳していただき、後ほど返事を貰うことになった。もどかしいが御高齢のため仕方が無い。

10分後電話があり「高江洲康有さんはもう亡くなってます。」 「あー、やっぱりそうか」残念であるが仕方が無い、ここまで判っただけでも儲け物。「しかし、康有さんの弟になら連絡が取れますよ」「えっ!本当ですか?」私にとっては「康有さん」でも下の叔父さんになる「康政さん」でもどちらでも良かったのだ。たまたま手がかりがあったのが「上の叔父さんが高校野球の監督をしていた」という事だったのだから。

ついに、自分のルーツにたどり着いて来た。下の叔父さんの連絡先を教えていただき丁重にお礼を言って電話を切った。

12月になって初めて高江洲康政さんにお電話をした。「突然の電話でびっくりするかも知れませんが、私は40年前に亡くなったあなたの弟、「康吉」の息子です。」エッ!」暫く絶句‥‥。突然のことで会話がつながらない。最近は人を騙す「オレオレ詐欺」みたいなことがはやっているため、改めてお手紙を書くことにした。

File0003 これまでの経緯と安心していただくため現在の私のプロフィール、そして1枚だけ残っていた私が生まれた時の家族写真を同封した。この写真が証拠となるため。自分の弟の写真だから。

数日後、康政さんからお電話を頂いた。

「是非、沖縄に遊びに来なさい」   つづく

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コメント (2)
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