昭和50年代から、無農薬の野菜に目を向け、農家と直接契約し、安全な食材を提供しようと当時にしては大変前衛的な取り組みをしていた。
都会育ちの私は農業などに目を向けることはなかった。しかし、先進的な有機農法のお百姓さん達と触れ合ううちに「地面に近い生き方の方が良いんじゃないか?」と思うようになる。
朝8時頃から夜の12時くらいまで働く。若かったので働くことへの苦痛はなかった。23歳で始めて店長になり、自分より年上の人達を動かしていかなくてはならない。人に動いてもらうにはまだまだ未熟で傲慢であった私は大きな壁に突き当たっていた。そんな頃、まるで自分と は正反対の性格の「恵文」さんと付き合うようになり、仕事が終わってから深夜喫茶で話をしたり、居酒屋でお酒を飲んだり急接近していった。
先月撮った写真であるが、こうやってお父さんの写真と上下で並べてみると一緒の顔をしているね!当時、高校を卒業後、直ぐに親のレストランに弟子入りした彼も、他の弟子達とはちょっと違ったスタンスで寮生活を送っていたのだろう。純朴でまっすぐでひたむきで、女性のことなど話そうものなら怒り出していた様な純情派であった。(今は単なるスケベなおっさんになってしまったが)
名古屋地区のお店で1年近く一緒に働いただけであるのだが、その後も人生の節目、節目に必ず関わってくるのである。人の縁とは本当に判らない。 つづく