浜松遠鉄百貨店での催事を終え、昨日は名古屋の実家にやって来た。母は今年80歳になる。以前から小柄な母であったが、今回マジマジと見つめてみると随分小さくなった様に思える。岐阜県関市にある永井家の墓参りに遣って来た。(母の代から嫁いで高江の姓になっている) 昭和60年12月に祖母が、61年3月に祖父が続けて後を追うように他界した。仲が良かったのだ。仏壇は名古屋市内の親戚の家にあり、何度かおまいりをしたのだが、この、岐阜県にある先祖からのお墓に参るのは私にとって始めての時間である。
近代的な整備された墓地ではなく、山の中腹に、この地方出身の人たちのお墓が並ぶ。木で作られた質素なお墓も沢山あり、おそらく、昔は土葬されたのであろう。「千の風に乗って~」では無いが、このお墓の中にはきっと居ないだろうと思いつつ手を合わせる。「お爺ちゃん、お婆ちゃん、クルムとシンラを見守って下さい」汚れた墓石を掃除して、石を動かしたら、そこからお爺ちゃんとお婆ちゃんの骨を見ることが出来た。
お墓というのは、残された人たちから見ると、思いを一つの形にして集中し易くするシンボルの様なものだろう。私の母は死んだら、大学病院に「献体」する手続きをとっている。あまり、死んだ後のお墓の事には執着が無いようだ。私も、死んだ後は「その体が人の役に立ってくれるのであれば、使って頂いて結構。」と思っている。別にお墓が欲しいとも思っていないし、火葬した骨は適当に撒いてくれれば良いと今は思っている。後に残された人が、「それではちょっと?」と思うのであれば好きにしたら良いと考える。
でも、お墓を掃除して綺麗になるとすっきりして気持ちの良いものだ。母と姉と親子3人水入らずで過ごす、こんな時間を持ったことはホンとに何十年ぶりだろう?