妻の母は随分とハイカラな人で、何と、大分県で最初の女性ドライバーである。今から64年前、昭和21年5月に自動車の免許証を取っているのだから、驚きである。しかし、不思議な事に、21年の5月と云うと、母は17歳なのである。
「昔は17歳で免許が取れたの?」と聞くと
「んー、よく覚えて居ないのだが、数え年で良かったのかねー」と答える。
いろいろ、当時のことを聞いてみると、
学科試験は、金池小学校で、子供用の椅子を机にして、床に座って試験を受けたそうだ。自動車学校の実技には、エンジンの分解まであったそうだ。大分工業高校の先生が運転を教えてくれて、別大国道などで練習したそうだ。
まだ、車の通行量など殆ど無く、のどかな時代だったのだろう。
母のお母さんが、ハイカラな人で、終戦後の混乱期に17歳の娘に運転免許を取らせたこと自体、大したものである。明治生まれなのに、革靴を履いてテニスをしていたそうだから、随分と粋なお母さんである。
戦後、大分工業高校の前で文房具やさんをしており、その関係で、高校の先生の紹介で、自動車免許を取ることが出来たそうだ。進駐軍の慰問に呼ばれた、芸人さん達の送迎をしたりしたそうだ。この母の自叙伝でも書きたくなるくらい面白い!
大分合同新聞に「大分県で最初の女性ドライバーが、ついに64年間の運転免許暦を終わります」と電話したら、取材する気になったのだろう・・・ところが、大分県警に問い合わせた所、当時の資料が無く、証明することが出来なかったそうで、取材は無くなった。
「そろそろ、事故などを起こす前に、自分で免許を返納した方が良いのでは?」と・・・
まだまだ、本人は充分運転できると思っている。
そりゃーそうでしょ!
昨日も、免許を返す前に、「娘の所に遊びに行っておこう!」と安心院の山奥まで自分で運転して遣って来た。
夜は、ささやかなケーキを買ってきて、「64年間、無事故・ちょっと違反」をお祝いした。
車は運転しなくなっても、元気で居て下さいね!
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