高江雅人  竹工芸職人の独り言  竹工房オンセ

高江雅人  竹工芸を初めて37年、徒然なる出来事をアップしています。

アルバイト

2008年04月11日 07時45分42秒 | 出張

昨日は朝から一日中小雨で客足も少なく、厳しい一日であった。朝、お店に行ってみるとアルバイトの女の子が私のブースにいた?オカシイな?昨日は、奥の方にいた子なのに?と思いつつ。

遠鉄デパートでは、大変ありがたい事にデパート側から補助員を付けてくれる。もちろん、デパートの経費である。私など、一人で行っている者にとっては食事時間とか、休憩時間を見てもらえるので大変助かる。ところが、この子(20歳)は全然声が出せない、初めて接客をしたのだそうだが、小さな声で何を言っているのか?さっぱり判らない。慣れない事で自信が無いのは判るが、お客様の前に立つ以上、最低限の笑顔とハッキリした言葉での受け答えが出来ないことには話しにならない。そんな、理由で昨日居た奥の方のブースから苦情が出たのだろう。

その子に話を聞いてみると、「ハンドバッグ売り場で仮採用になっていて、試用期間が過ぎて、旨くいけば正社員に採用して貰える」と言う。「んーん、これでは無理だぞ!」私がこんなことを心配しなくても良いのだが、自分にも、この子くらいの子供がいるので何となく人事ではない。

「まず、ハッキリした声で、いらっしゃいませ!と言ってごらん。そしたら、お客様の反応が変わってくるから。そしたら、君も楽しくやれるようになるよ!」

ハイ。」

「もっと大きな声でハイッと言って!」

「ハイッ」

「良し、この1週間を正規採用になるかどうかの練習期間だと思ってやってみな!」

「ハイッ!」

「少し元気が出てきたな!」

そんな遣り取りをしながら、一日が過ぎてしまった。さて、明日からどうなるかな?

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浜松 顔立ち

2008年04月10日 08時33分07秒 | 出張

48_030 河岸さん御夫婦に連れて行っていただいたのは、浜松駅近くのビルの5階。飲茶のお店「氷箱里」(ビン・シャン・リ)と読む。つい三日前結婚式を挙げたばかりの河岸さんのお嬢さんがアルバイトをしていたお店だそうだ。40前後のマスターが挨拶に来た。爽やかな誠実そうな顔立ちである。飲食店というのは、ただ単に食べ物を提供するのでなく、雰囲気と豊かさ、気持ちの良さを提供しなくてはならない。お店の人の顔立ち、表情は美味しい食事をする上で大変重要な要素である。

48_032 人通りの少ない、辺ぴな場所のビルの5階。此処までお客様を呼び上げるのには相当な実力と努力が要る。開店して2年余りで、結構な繁盛店になっているのは、大した物である。料理を作っている料理人は中国人の「劉」さん、本場中国の「1級点心師」だそうだ。この人も良い顔立ちをしている。

中国には3級から特級までの点心師の資格があるそうだが、(日本の調理師に似たものだろうか?)特級点心師になると、国の財産として国外に出ることは出来ないそうだ。1級点心師になると、教える事が主に成り、直接、その人達の料理を食べることは少なくなるそうだ。

「氷箱」(冷蔵庫)「里」(~の中から)  マスターの思いを込めた命名である。

『氷箱』(bing xiang)は中国語で『冷蔵庫』、『里』(li)は同じく『~の中』を意味します。
時は移り、世に冷蔵庫という便利な道具が現れ、それまでの生活が一変しました。
我々はその『箱』に強い魔法性を感じたものです。

我々は幼い頃、外から帰るとまずその『箱』を開けました。
それは今でも習慣となっています。
なぜ思わず開けるのでしょうか?
それは自分の求めるものが入っていることを知っているからです。

よく観察している母は、子の求めるものを『箱』の手に届く場所に置いたものでした。
その繰り返しはいつしか、日々の欠かせぬ楽しみの一つになったのです。
子ども達は世界中どこも同じです。中国でもまた然りです。
我々が中国で過ごした日々にはこんな場面が多々ありました。

映画などにもこの『箱』は人々の生活を写すものとして登場します。
これは日本だけの事でしょうか?いいえ、これは世界中どこも同じです。

『箱』の中には土地の食生活を代表する物が入っています。
『箱』の中には母から家族への愛情が詰まっています。

多民族国家・中国の家庭にある『箱』から美味さと楽しさを提供し続けたい。
そんな想いからこの名、『氷箱里』を付けました。

時を経ても、この『魔法の箱』は無くなりません。
過去から未来へ、親から子へと食文化が引き継がれていく様に、我々も皆さんに・・・

河岸さんと美味しい中華料理を頂きながら楽しい時間を過ごすことが出来た。特にお奨めはニラ饅頭、広東焼き餃子、土鍋スープ、どれも口に頬張った時に中から肉汁が飛び出してくる。チマキも美味しかったし、最後のデザート杏仁豆腐も絶品であった。アーモンドの様なほのかな香りが漂い、口当たりもしっかりしていた。

浜松に行った時は是非お奨めの店ですよ!

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浜松 ベルモテオ

2008年04月09日 08時22分00秒 | 出張

3年ぶりの遠鉄百貨店。以前は1月に「九州展」があったのだが、2年前から開催時期が変わり、4月になった。丁度、他のデパートの催事と同じ開催時期になってしまったため、私が来ることが出来なくなってしまった。遠鉄百貨店は工芸の出店業者の間では、社員の対応の良さで知られている。決して上から物言うということは無い。出店業者を大事にしてくれるデパートである。担当の人も移動で何代か変わっているが、どの人も丁寧で親切に接してくれる人ばかりである。

48_009 昼から飾り付けをしてホテルで一服。このホテルも遠鉄系列の「コンコルド浜松」。此処からの見晴らしは、浜松が一望できて素晴らしい眺めである。しかも、ホテルの宿泊も遠鉄持ち、デパートからホテルまでも遠鉄系列のバスでただ券まで貰えるという、至れり尽くせりである。

一服した後、もう一つの目的であるお店に出かけていった。「ベルモテオ」。昨年10月にオープンしたばかりのお店である。昨年、このお店のオーナーの河岸さんとご縁が出来た。人の縁とは不思議な物で、何十年知り合っていても、中々心が触れ合わない、開けない人も居るかと思えば、この人の様に始めてあった時から打ち溶け合ってしまう人もいる。

http://blog.goo.ne.jp/takae_1/d/20070521

http://blog.goo.ne.jp/takae_1/d/20070710

48_011 開店したお店を訪ねてみると、お洒落な素敵なお店が出来上がっている。最初、オープン前にお話を聞いた時は、オーナーの「気に入った物をあれやこれやと扱いたい」と聞いていたので、少し、焦点の定まらない纏まりの無いお店になるのでは?と、心配していたのだが、行って見て、お洒落な輸入雑貨をメインに、若い客層に焦点を当てた素敵なお店に仕上がっていた。

48_018 48_021_2

48_022_2

48_014_2 いり口の雑貨品の奥には、お箸コーナーがあり、朝のテレビドラマで脚光を浴びている「若狭の塗り箸」が200種類近く飾られている。恐らく、浜松でこれだけお箸を扱っているお店は無いだろう。その中の一角に、私どもの竹箸を置いていてくれた。「使いやすさは竹箸が一番なんだが、見た目の鮮やかさで中々買って頂けない」と残念がって頂いている。まだ、オープンして半年あまり、これから、どの方向に進めて行くのか?試行錯誤の時期である。お店とお客様と商品の3点が合致しないことには商売としては成り立たないのだから、いろいろ、試してみて、浜松で「此処が一番」と言われる様なお店に育ってくれると良いのだが!

この日は、河岸さん御夫婦に素敵な晩御飯を御馳走になった。とても、素敵な店なので、明日のブログでアップします。

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花展を見て!

2008年04月08日 07時33分47秒 | ブログ

20080407160225昨日で春休みの終る次男坊シンラを学校に送っていく。その帰り道、大分のトキハデパートでやっていた「大分合同新聞、共同花展」を覗いててみた。お花の生け方や色使い、どんな花器に生け込んでいるのか?などなど、ところが、時代と共に生け方も花器も変わっていくものなのか?100点以上ある作品の中で竹篭を使っている人が一人もいないのである。昔は、竹篭を使う人が相当数いたのだが、今回は全くいないのである。流行があるのであろうか?こんな所にも、時代時代を映し出す使われ方を考えなくてはならない。予想はしていたが これほどまでに変わってしまうのか!少しショックであった。

20080407161011 確かに、20年以上前、私が竹細工を始めた頃は花篭が全盛時代で別府の竹職人がこぞって花篭を作っていた。技術的にも、花篭職人が上級で盛皿やクラフト物を作る職人を下に見るような時代でもあった。私の所でも、デパートに卸す花篭でワンアイテムで年間1000個も出るような作品を10点くらい制作していた。その時は「いったいこんなに沢山の花篭が何処に行くのだろう?」と作っている本人でさえ不思議に思っていたくらいだ。

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ホームページ

2008年04月07日 13時20分40秒 | ホームページ作り

ホームページを充実させなくては、させなくてはと言いながら、ホームページをやり直して1年少し過ぎてしまった。アッという間である。残念なことに、最初に作ったまま、ほとんど更新していかずに来ている。もっと、頻繁に新しい作品をアップして、又、いろんな企画を立てて、お客様を呼び込む事を常にしなくてはいけ無いのだが、なかなか、手が回らない。(こんな、ブログを更新している暇があったら、もっとやれー!

本業に追われて、ネットの部分まで手が回らないのが現状である。(まだ、ネットで本当に売っていこうと気持ちが据わっていないのかも知れない?)そこで、バトンタッチ、妻の悦子と事務要員のかおるさんに任せてやってもらうことにした。役割分担したほうが良いような気がする。大体の仕組みや、注文の流れなど、問題点もこの一年で経験できた。あとは、本気でやるか?やらないか?だけである。助走期間も終わり、いよいよ滑空に入っていかなくては!

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父親として

2008年04月05日 13時39分20秒 | 家族

先日の東京までの飛行機の中、長男クルムといろいろ話す時間が持てた。この春から、高校3年生。「卒業後の進路について、今の学校の友人関係、部活のこと、卒業したらバイクに乗りたい。」など等、

私が、「18歳までは親が面倒を見るが、それ以降は自分の責任だ!進学について、当たり前のように考えているのであれば、ちょっと、見当違いになる。お前が、こうこう、こういう事がしたいので、それに付いて、こんな学校に行きたいと思う。ついては、経済面で援助してもらい、進学させて貰えるだろうか?と、こう考えるのが基本的な立場だと思う。」

「親の経済的援助が必要であるならば、現在の自分の状況と進学できる学校への思いを、親に判る様に説明して欲しい!」

長男 「言われること、御尤もです」と

私、 「シンラともっと話をするにはどうしたら良いだろうか?」

長男 「もっと、関心を持たなくては!」「帰省日にお父さんが迎えに行くとか?ラグビーの試合を見に行くとか?シンラの楽しい事を話したら!」

などと、偉そうに言いやがる。ホントはもっとお前の事を知りたいんじゃ

本当に判ったのだろうか?大変疑問ではあるが。最近の風潮として、子供が大学に行くのは当たり前、変なヤツは「行ってやる」なんて、アホな考えでいるヤツまでいる。間違った、立場で話をしていきたくなくて、上記の様な話をした。

何を選択しても良いのだ!結局は自分自身に跳ね返ってくるのだから、どんな道を通ろうが、自分の意思で選択し、自分で責任を持って生きていかなくてはならないのだから。

最後に東京駅で別れるとき、「お父さんも無理せんで!」と一言いって新幹線に乗って行った後姿を眺めながら、「お前の人生だぞー」と心の中で呟いた。 

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鳥取、倉吉

2008年04月04日 14時33分07秒 | 職人仲間

44_0021 今回のバタバタの出張の最終目的地、鳥取県倉吉市にある、取引先の「中野竹芸」にやって来た。朝、レンタカーを借りて高速岡山道を北上、どんどん進んでいくと目の前に「大山」が見えてきた。その手前の蒜山高原に今から18年前に一度来たことがある。まだ、山頂に雪が残り雄大な景色が気持ちを和ませてくれる。

2時に中野社長と待ち合わせをしていたが、少し早めに到着。この、中野竹芸さんとは、もう20年以上のお付き合いである。私の所のバッグの手にしている「鳳尾竹」の材料などを分けていただいている。また、反対にうちのバッグを卸している。持ちつ持たれつの関係でる。今回、わざわざ、倉吉まで足を運んだのは、この鳳尾竹の火曲げの技術を教えてもらいに来たのだ。対応してくださったのは、この道50年の池口工場長。物静かな職人さんだ。何時も、私のくどい様な注文にも丁寧に対応してくださっている方だ。

44_0761 此処では、火曲げのやり方は、中野竹芸のノウハウが詰まっているのでお書き出来ないが、私には、やり方や専用の道具、何処に気をつけなくてはいけないのか?などなど、ホントに貴重なアドバイスを頂いた。感謝いたします。

池口さんが一番困っていることは、今まで山陰地方で鳳尾竹を伐採していたのだが、この数年、山が荒れて道がなくなってしまい、安全面で林野庁の立ち入り許可が下りないそうだ。そのため、遠く北海道から鳳尾竹を取り寄せているのだが、身の詰まりが悪く、加工が非常にし難いそうだ。   我々、大分の竹薮も伐採する業者がいなくなり、年々竹薮が荒れている。製品加工だけでなく、それに関わる産業の衰退もこれからの大きな問題になってきている。

本来の予定では一泊して、翌日岡山まで戻り、新幹線で大分に帰る予定であったが、池口さんの御協力で早く用事が済んだため、急遽、その日のうちに大分に帰る事にした。時速140キロで岡山道を南下、岡山発18時11分に滑り込みセーフ!

一日早く家に着いた。しかし、慌しい四日間の出張であった。今夜のジャック・バウアーはゆっくり寝るとしよう。

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岡山 

2008年04月03日 07時05分51秒 | 出張

朝5時に目覚ましを掛けていたが、夜遅く寝たにも関わらず、目覚ましより早く起きてしまう。今日は10時過ぎまでに岡山に行かなくてはいけない。6時にホテルを出発、山手線で東京駅に。東京からで岡山に!「のぞみ号」で3時間半、10時過ぎ岡山に着いた。43_003 

岡山市は「ゆったりとした」こんなイメージの町である。路面電車が走り、名勝「後楽園」をバックにゆっくりとした時間が流れているような気がした。

43_004_2 今日から岡山市内の「ギャラリーさとう」での初個展である。閑静な住宅街の中に佇む落ち着いたお店である。ちょっと、橋田寿賀子似のオーナーの左藤さんが迎えてくれた。

昼過ぎに、本を配達に来られた本屋さんが、中を見ていき、見ているうちにバッグを気に入って頂き御買い上げ頂いた。「何か、仕事で配達に来たのに、買って頂いて悪いような気がした」が、御本人は「こんな素敵なバッグを買えて良かった。作家さんにも会えたし」と、大変喜んで頂いた。43_008

この日は残念ながら、あまりお客様が来られなかった。もう少し、ギャラリー側と在廊日の告知を明確に打ち合わせをしなくてはならないと感じた。せっかく、御当地まで来たのだから、一人でも多くの方に竹のバッグの良さを知ってもらい、使って頂きたい。4月9日まで開催しています、良い出会いがあります様に!http://gallerysat.exblog.jp/

竹工房オンセ 

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番狂わせ!

2008年04月02日 06時37分00秒 | 友人

朝9時、上野発の「スーパーひたち」に乗り込む。この日は強風が吹いていた。10時25分に「勝田」着と時刻表に載っている。本日から始まる「横瀬画廊」での初日に間に合わせるためやって来たのだ。勝田駅までオーナーの横瀬さんに迎えに来ていただいたのだが、強風のため電車はゆっくり、ゆっくり安全運転。確かに利根川を渡る時などは、大変な風が吹いているため「これは危ないぞ!」と感じた。50分遅れで勝田駅に到着。

42_001 2年ぶりに行った個展である。この日も前回買って頂いたお客様とも沢山会うことが出来、お礼も出来ました。ありがとうございます。前回だけでなく、また、今回もバッグをお買い上げ頂き本当にありがとうございます。

42_011 昼過ぎに、私の学生時代の同級生がひょっこり現われた。「サッちゃん」だ。びっくりした。ご主人の転勤の関係で昨年、勝田の近くに転勤してきていたそうだ。嬉しいですね。学生時代のマドンナの様な清楚で素敵な人であったが、今も変わらない。

夕方まで画廊に滞在し、この日は上野までもどることになる。行きの特急も突風のため、大幅に時間遅れとなる。帰りは、順調に進んでいたかに思えたが、途中の駅で、列車とホームの間から人が落ち、レスキュー隊がやってくる大騒ぎになった。「またまた、事件かな?」結局、この駅で30分列車は止まり、大幅な遅れである。

何故か?今回の出張は番狂わせが多いような気がする。明日からも鉄道での移動が続くのだが、「決してホームの近くには立たない様にしよう!」と心に誓った。

竹工房オンセ

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点と線

2008年04月01日 08時18分29秒 | 出張

今まで何度も東京の蔵前、浅草橋、馬喰町、日本橋、と来ている。しかし、その都度、1箇所づつで用は足りていた。今回初めて、上野御徒町に宿を取り、そこから蔵前、浅草橋、馬喰町、日本橋、の4箇所に仕事があり歩いてきた。普段歩いている朝歩きと違って、革靴での半日歩きであったため、さすがに足が痛い。

41_013 ます、最初は皮のバッグ屋さんに新しいバッグの試作の打ち合わせ。なかなか思うようなデザインが出来上がらず、ある程度、形が決まるまで試行錯誤の連続になりそうである。私の無理な注文にも嫌な顔一つせず、「あー、それならこうなります。此処はこうやったら良いですね!」と親切に対応していただいた。ありがとうございます。

次に蔵前の革屋さんで、革製品の工具を買出し。革の部分は作っていただくが、竹と組み合わせる部分はこちらでしなくてはいけないので、いろんな工具を買い込んだ。

41_014 3番目は以前からの取引先の「手芸屋」さんへ。

4番目は日本橋の「ネオ・ウィング」という会社へ。ここの社長の片桐さんは別府市出身の方で、ネット販売で海外にCDなどを販売するサイトとしては日本でも指折りの会社の社長さんである。

昨年、私たちが「イタリア展示会」を企画しているときにグループの集まりに参加され、別府の竹製品を自社のサイトで扱ってはどうか?と提案して頂いた。「別府市出身者として、少しでもお役に立てれば」と。その打ち合わせでやって来たのだ。別府市出身の方が東京の一等地に会社を構え、若いスタッフを沢山抱え、元気の良い会社を作っている。大した物ですね。

41_016 この日も、新しい社員の面接をしていたようだ。

そんな訳で半日歩き回り、今まで別々だった点が始めて繋がった。続けて歩いてみて、初めてこの4箇所の位置関係が線としてやっと繋がった。

あー、それにしても今日もよく歩いたね 

竹工房オンセ

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