温故知新~温新知故?

音楽ネタが多いだろうけど、ネタのキーワードは、古きを訪ねて新しきを知ると同時に新しきを訪ねて古きを知るも!!

バガヴァッド・ギーター読了

2016-01-09 16:33:00 | 

先日下にあるようにバガヴァッド・ギーターの解説本である「バガヴァッド・ギーターの世界」を読んだと書いたけど、その原本、と言っても日本語版だけど、読み終えた。まだ、解説が残っている。本文は140ページ位で解説は70ページ位あるんだけど。。。。
バガヴァッド・ギーターの世界読了 - 温故知新~温新知故?
今回出張でドイツ、スペンと出張中でまたすぺんのsitgesというところに来ているのだが、その来る途中の飛行機で、読んでいた「バガヴァッド・ギーターの世界」を読み終えた。

この本は下にあるようにアルジュナと、彼の導き手であり御者を務めているクリシュナの対話という形をとっている。
バガヴァッド・ギーター - Wikipedia
バガヴァッド・ギーター
インド、クルクシェートラのクリシュナとアルジュナ王子(1830年頃画)
バガヴァッド・ギーター(サンスクリット語: श्रीमद्भगवद्गीता、 Śrīmadbhagavadgītā、 発音 [ˈbʱəɡəʋəd̪ ɡiːˈt̪aː] ( 聞く))は700篇の韻文詩からなるヒンドゥー教の聖典のひとつである。ヒンドゥーの叙事詩マハーバーラタにその一部として収められており、単純にギーターと省略されることもある。ギーターとはサンスクリットで詩を意味し、バガヴァン(Bhagavan)、すなわち「神の詩」と訳すことができる。
バガヴァッド・ギーターはパーンダヴァ軍の王子アルジュナと、彼の導き手であり御者を務めているクリシュナとの間に織り成される二人の対話という形をとっている。

前にも書いたけど、内容は著名人が愛読しただけのことはあるシンプルだけどなかなか興味深い内容だ。ほぼ同じことを言っている。
ー誰でも神になれる。
ー結果を期待するな。
ークリシュナは生も死もない、すなわち始まりも終わりもない。(結果を期待せずただ祈りなどの行為に専念すれば誰でも神になれる。)
ークリシュナはあらゆるところに眼がある、耳もある、手もある、耳もある。
『バガヴァッド=ギーター』を読む
あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。
 それゆえ、執着しゅうちゃくすることなく、常になすべき行動を遂行せよ。実に、執着なしに行為すれば、人は最高の存在に達する。

などだ。目からうろこって感じ。
1512夜『バガヴァッド・ギーター』|松岡正剛の千夜千冊
古代インドの至高の「神の歌」を
『バガヴァッド・ギーター』という。
ティラクやガンジーの座右の書だった。
西ではシュレーゲル兄弟、フンボルト、エマーソン、
グルニエ、カミュ、シモーヌ・ヴェーユが愛読した。

確実、科学技術者の流行に対する脅威に触れたけど、ちょっとギーターあたりを読む余裕が必要だろう。そんな余裕があれば、きっともう少しマシな洗練された技術となり、今よりちょっとだけマシな世の中になっていくような気にさせるそんな本でした。ちなみにこの本と解説本は、図書館で借りるのではなく、珍しく購入しました。これから何回か繰り返して読むことになるつもりです。
知性が確立し、迷妄めいもうなく、ブラフマンを知り、ブラフマンに止まる人は、好ましいものを得ても喜ばず、好ましくないものを得ても嫌悪しない。
 まさにこの世で、身体から解放される(死ぬ)前に、欲望と怒りから生ずる激情に耐えうる者は、専心した幸福な人である。

バガヴァッド・ギーター 上村勝彦訳(岩波文庫) - うちこのヨガ日記
一般の社会人は自分の仕事を遂行しながら、寂静の境地に達することが可能であろうか、多くの古代インド宗教書は、社会人たることを放棄しなければ、解脱することは不可能であると主張する。それに対し「ギーター」は、自己の義務を果たしつつも窮極の境地に達することが可能であると説く。それどころか、社会人は決して定められた行為を捨てるべきではないと強調するのである。

他にも。。。
『バガヴァッド・ギーター』とはなにか | バガヴァッド・ギーター (神の歌) | 一般財団法人 知と文明のフォーラム
●クリシュナの二面性
クリシュナは、アルジュナが総大将であるパーンダヴァ軍を鼓舞して、カウラヴァ軍を撃滅します。この限りでは、クリシュナはアルジュナの友人です。ところがある瞬間に変貌して、恐ろしい神となる。死と破壊の神になるのです。救済と破壊というクリシュナの二面性を見せることによって、アルジュナに世界の相の真実を示したことになります。
そしてこの二面性は、原子力の二面性につながると思います。このことをオッペンハイマーはよく知っていた。それで、原子爆弾の大爆発のとき、『バガヴァッド・ギーター』の一節を思い出したのです。このクリシュナの二面性は、現代文明にも通じると私は思います。

●「戦う」とはどういうことか
クリシュナは迷うアルジュナに、戦え、行動せよ、と激励します。欲望を捨て、自我を捨て、自分(クリシュナ)を信頼して行為せよ、それは自ずから正しい道に導かれる、というのです。
憲法第九条をいただく日本人としては、戦いをやめるというアルジェナこそ賞揚すべきですが、クリシュナは戦うという行為(カルマ)に賭けるべきだ、と説きます。それは何故か? 

バガヴァッド・ギーター : ITスペシャリストが語る芸術
ところで、『バガヴァッド・ギーター』の中で、至高神クリシュナは、神たる自分は何かを譬えで語っている。
「光るもののなかでは太陽」
「星々のなかでは月」
「水体のなかでは大洋」
「動かぬもののなかではヒマラヤ」
「獣類のなかではライオン」
「魚類のなかでは鱶(ふか=大型サメ)」
「河川のなかではガンジス河」
「季節のなかでは花咲く春」
「詐欺(だまし)のなかの大賭博」

バガヴァッド・ギーター ヨガ哲学講師ユキオによる読み方紹介

『ハ?カ?ウ?ァット?・キ?ーター』購読(前半)