温故知新~温新知故?

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続 窓ぎわのトットちゃん 読了 〜戦争時の庶民の日常体験がさりげなく描かれているところが感銘を受ける〜

2024-04-25 13:25:36 | 
この本は、やはり朝日新聞の読書欄を読んで予約した。現在予約数は228と多いが所蔵数が24冊もあるので、割とすぐに順番が来た。

著者のあとがきにもあるが、この本は「私が経験した戦争のことを書き残しておきたいと考えたことが、『続 窓ぎわのトットちゃん』を書くきっかけの一つだということも、このあとがきに書いておきたかった」とのことだ。おかげさまで、以下の私の感想を書くことができる。
この本のなかで、私の印象に残ったのは、「トット、疎開する」という章だ。そこには、戦争中、疎開先への移動、疎開先での生活などが描かれている。過去に「シリア 戦場からの声 単行本 〜桜木 武史 (著)」という本を読んだときにも目から鱗だったのは、戦争をしている国には普通の日常生活があるということだ。戦闘ばかりではない、普通の庶民は毎日を戦争前と同じように生きているのだ。
「犠牲者が何百人でた、悲惨です、私は憤りを感じます」みたいないかにも正義のジャーナリストという感じで、報告するが、それがいかに虚しいかが分かる。
みなこの桜木氏のように反政府軍の兵士と一緒に銃も持たずに戦闘に同行せよとは言わないけど、このようなひとが報告する内容と比べると、ネット検索や安全が確保された中での取材は虚しいかが分かる。
しかも、桜木さんは「死」でなく「生」に重きをおいて報告してくれる。
だから、この黒柳徹子さんの戦争体験で語られる小さな日常ではない体験を語り継ぐことが大事だと思う。わたしは70歳を超えたが、この本のような体験はしていないが、それをリアリティを持って語ることができる最後の世代だと思いう。
一番、強烈なのはトットちゃんが混んだ列車で駅に停車した際に、窓からお尻を出しておしっこする場面だ。トットちゃんは、その前に一度列車のトイレに行くのだが、トイレのまわりに人がいっぱいだし、便器の向こうに男の人が座っていて、とてもおしっこはできなかった。また、トットちゃんが窓からする前に、親切な隣のおばさんが、こうするんだよとやってくれたので、なんとか用をたせたという話だ。トットちゃんが混雑した社内をトイレに行くまで、周りの人が親切に道を譲る様子も、今とは違う何かを感じる。
そもそも、トットちゃんは青森まで疎開するのに当然おかあさんと兄弟は一緒にいたのだが、上野駅ではぐれてしまい、次の列車で行くことになるのだが、そのときも今とは違いまわりは最小限の親切心で接してくれる。
疎開先の青森ではリンゴ小屋に住むのだが、ふろしき代わりに使っていたゴブラン織の生地を、今度はソファがわりに使ったり、さらにはトットちゃんの確か入学式の服にまで利用するのである。
ほかにも、当時、移動の時は、お米は、米そのままで携帯し、訪れた先の近くで、お米を炊いてくれませんかとお願いして炊いてもらったり、おにぎりにしてもらったのだそうだ。お米は炊いてしまうと、腐る前に食べなくてはいけないので、炊かずに持ち歩いていたのだそうだ。
また、トットちゃんのママは、食堂のようなことをやって商売し、その後家を建てるくらいの蓄えを貯めることになる。
これらの逸話は、まさに先の桜木 武史 氏著の「シリア 戦場からの声」を読んで私が書いた「「死」でなく「生」に重きをおいて報告してくれる。」という部分だ。みな生きるのに一生懸命だ。


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