横浜市の水道政策史  日本最初の近代水道としてスタート。

2014年03月03日 | Weblog
◎日本最初の近代水道は、明治20年(1887)10月17日に横浜市に給水が開始さたのが始まりです。




写真は近代水道発祥の地として、野毛山貯水場跡に立つ、日本初の近代的水道である横浜水道を完成させたイギリス人技師・ヘンリー・スペンサー・パーマーさんの碑です。

この碑文には、以下の様に記されています。

明治20年(1887年)10月, 日本最初の近代水道は横浜に誕生した。当時の横浜は, 埋立地が多く良い水が得られないため, 長い間飲み水や伝染病に苦しみ, また大火事にも悩まされていた。

いつでもどこでも安全で良い水が欲しいという人々の夢は, この近代水道の完成によって実現された。横浜の水道は, 英国人 H.S.パーマーの設計・監督によるものであるが, 沖守国県知事をはじめ三橋僕方(後に市長となる), 三田善太郎など多くの 日本人の努力も忘れることはできない。
 
パーマーは, 横浜のほかにも 大阪・神戸・函館・東京などの水道計画に貢献した。さらに, 横浜築港工事や横浜ドックの設計など 港湾整備の面でも業績を残したほか, 天文台の建設や ロンドンタイムズへの寄稿など広い分野で活躍し, 明治26年(1883年) 54才で没し 東京青山墓地に眠る。
 
横浜水道創設100周年を迎えるにあたり, パーマー像をこの地に建て, 先人の業績を讃え, 明日への発展を願いたいと思う。(昭和62年4月  横浜市長 細郷道一)



この写真は、獅子頭供用栓で、パーマーがイギリスから取り寄せた日本最初の蛇口。

横浜水道史には、戸数わずか87戸ほどの一寒村であった横浜の人口は日増しに増加し市街は急激に発展。

当時住民は水を求めて井戸を掘りましたが、横浜は海を埋め立てて拡張してきたので良質な水に恵まれず、ほとんどの井戸水は塩分を含み、飲み水には適しませんでした。このため、神奈川県知事は英国人技師H.S.パーマー氏を顧問として、相模川の上流に水源を求め、明治18年(1885)近代水道の建設に着手し、明治20年(1887)9月に完成。

明治23年(1890)の水道条例制定に伴い、水道事業は市町村が経営することとなり、同年4月から横浜市に移管され市営として運営されるようになりました。以来120余年、横浜市水道は発展をつづける市勢の水需要に対応して、8次にわたる拡張工事を行ってきました。

横浜が発祥の地となった近代水道とは、川などから取り入れた水をろ過して、鉄管などを用いて有圧で給水し、いつでも使うことのできる水道のことです。


上の写真は、横浜水道記念館の創設記念噴水塔。

創設記念噴水は、日本近代建築の父と呼ばれ、鹿鳴館や山手聖公会などを設計したジョサイア・コンドルにより選定され、英国のアンドリュー・ハンディサイド社で製造されたもの。

今回、平成26年度の予算を審議する局別の審査において、水道局の審査にて質問(3月4日)に立つにあたり、再度、横浜の近代水道の歴史及び水道政策史を確認しました。