ケンのブログ

日々の雑感や日記

プールの思い出

2021年06月27日 | 日記
今日の読売新聞の投書欄に徳島県の67歳の女性のこんな投書が載っている。

“”22年前、夫婦で北欧旅行を楽しんだ。目一杯観光する日が続きホテルにチェックインすると疲れてバタンキューだった。

午後3時と早く到着した日があった。私は周辺の散策やショッピングを満喫しようとウキウキ気分になっていた。

ところが、ロビーに向かう途中に真っ白で素敵なプールがあり、グラビアから飛び出してきたような水着姿の金髪女性たちでいっぱいだった。集合を呼びかける添乗員の声もむなしく、男性陣の目が釘付けになっている。夫の目も輝いていた。

すると 嫌な予感が的中してしまった。夫は「土産はいつでも買える。せっかく水着を持ってきたのでプールに行くぞ」と宣言した。

私はプールに飛び込んでいく勇気がなく、水泳をせずに貴重な自由時間をホテル内で過ごした。
がっかりだった。“”


うーん、どうなんだろう、67歳の女性の22年前だから45歳。勇気を持ってプールに飛び込んでいってもよかったのに、と思ったりして、、、。

男性陣の目が釘付けになったかもしれない。

しかし、そういうのも緊張するかもしれないと想像したりして、、、。

まあ、女性の気持ちは男にはわからないですよね。

ショッピングを満喫したかった女性に対して、夫は土産はいつでも買えると言ったという。

女性にとってショッピングは、買うことよりも見ることが楽しいという場合もあるし。

多くの場合男にとって、買い物は、目的のものを一直線に狙っていって買うというケースも多いし、、、。

でも、女性の、ウインドウショッピングにはとても及ばないけれど、けっこう僕もお店を見て楽しむということはある。

1990年代、今よりもCDショップの売り場面積がはるかに広かったときには、CD量販店に3時間位いても飽きなかった。

休日の翌日に、上司に「ナカシマさん昨日 何やっとんたん」と聞かれて、正直にCD売り場に行ってましたと言ったら、そういう趣味のまったくない上司は「わからん」という顔をしていた。

その上司は月曜日になると「ナカシマさん、昨日何やっとたん」と聞いてくるのが半ば習慣化してしまって、もううんざりしていたというか、それが、悩みだったことがあった。

まともに答えても、話が通じないし、ごまかして答えるのがあまりうまくないし、、、。

そんな悩みをある女性に話したら 「何聞かれても、寝てました というのを習慣にしたらどう?」と言われて、そういう受け答えって女性は強いなと思ったことがある。

実際、年始に会社に出ていって、男性職員から、お正月はどうでしたか と問われると「寝正月でした」と答えていた女性がいた。

その女性は、ちょっとおとなしい子だったけれど、容姿がわりと可愛くて、男性の社員にいろいろ、その手の質問をされることが多かったから、自衛手段をとっていたのかもしれない。

広瀬香美さんの「ドラマチックに恋して」という歌の歌詞の一節にこんなのがある。

“”髪を切れば 失恋したの? 相手誰? 男はみんな保守的ね 今どきそんな子はいない“”

というのがあるけれど、男の詮索にうんざりする女性の気持ちが現れているのかもしれない。

男の詮索に、どこまで女性は応じたらいいのか。

隠しすぎてもいけないし、出しすぎてもいけない。

微妙なバランスが大切なのかなと思う。(あくまで個人の意見です)

微妙な答え方をされて印象に残っていることっていくつかある。

ある女性に、「僕は昭和37年生まれです、あなたは僕より年上ですか、年下ですか」とたずねたら「東京オリンピックを知らないのが自慢です」と言われた。

うーん、前回の東京オリンピックのとき僕はまだ2歳で僕も東京オリンピック知らない。

だいたい、同じくらいの歳ということはわかるけれど、僕より年上か年下かはわからない。

別の機会にその方に「〇〇百貨店が開店したとき、小学校△年生で、できたての百貨店に行くのが楽しみでした」と言われて、まあ、ほぼ歳がわかったけれど。

ただ、僕は、基本的に、答えるにしろ、答えないにしろ、ぼやかした言い方ではなくて率直に言ってくださる人が好きかなとは思う。(個人の意見です)

僕は、見て楽しむショッピングも好きという話の続きだけれど、今日スーパーマーケットに真空パックのようになった鮎の塩焼きが出ていた。

僕は、この季節になると長良川で、鮎を釣る人や、やな という鮎をとる仕掛けを子供の頃、日常的に見ながら育ったので鮎の塩焼きが出ているとつい、じっくりと眺めてしまう。

形を見ると、きっと養殖の鮎だなと思う。お腹が凹んでいるので、はらわたをとって調理してあることもわかる。

それでお値段が一匹398円。

眺めて風情を楽しむ気にはなっても買う気にはならない。

398円あれば、のり弁当が買えるもの。

鮎一匹ではお腹ふくれないし、、、。

でも、やはり、鮎を見るのは嬉しいものだなと思う。

岐阜県民謡郡上節の歌詞をひとつ

“”お国自慢にゃ 肩身が広い 郡上おどりに鮎の魚“”

ああ、いいな と思う。

それは、ともかく、いちにちいちにち無事に健康に過ごせますように、それを第一に願っていきたい





思いを馳せる

2021年06月27日 | 日記
読売新聞の 四季 というコラムに夏目漱石のこんな歌が載っている。


“”青梅や空(むな)しき籠に雨の糸“”

この句に長谷川櫂さんのこんな文章が添えられている

「青梅を摘む人もなく、空っぽの籠に雨が降っている。ところがこの句には『悼亡』の前書き。

いったい誰の追悼句かと思えば、門下の松根東洋城が飼っていた文鳥が死んだのだという。

空っぽの鳥籠に雨が降っている。『漱石全集』から」と。

※悼亡とは、親しい人の死を悲しむということです。

うーん。鳥の死にも、こんなに悲しみを感じてしまうのか。

籠というあるものを眺めながら、亡きものに思いを馳せる。

人間の心の本質に迫っているとも言える。

まさに天才的。それ以外に言葉が浮かばない。

そんなにたくさん読んだことないけれど、夏目漱石ってすごい芸術家なんだなと改めて思う。

思いを馳せる。今の、人々がともすれば失ってしまっている心情であるようにも思える。

「愛を失ってしまったら、もう 人間ではありません」岐阜の八王源先生がそうおっしゃっていたことをしみじみと思い出す。

それは、それはともかく、いちにちいちにち無事に過ぎますように、それを第一に願っていきたい。