ケンのブログ

日々の雑感や日記

地震が揺する

2021年10月10日 | 日記
「むちゃむちゃに揺すっとったというより、波打ってきたでなあ。『地震や』と思って外へ出ようと思っても、芋転がすようなもんで、ドカンドカン ダダーッと来たと思うと、はや芋穴の中へ落ってまっとった」

上記は今日の岐阜の地方紙に掲載された、1891年の濃尾地震のときの被災者の聞き取り記録からの引用だ。
※この引用は先日の東京の地震に関連する記事の中でなされています。


ちなみに芋穴は地面に穴を掘ったイモ類の貯蔵庫という。

むちゃむちゃに揺する

濃尾平野以外の出身の方は、この表現、違和感をおぼえると思う。

地震なら 「むちゃむちゃに揺する」 ではなく 「むちゃむちゃに揺れる」が全国的には普通の言い方だと思う。

僕の母はいまでも普通に「地震が揺する」という。

子供の頃からこの言葉、親から聞かされてきたので、岐阜以外の地域で、何の気無しに「昨日、地震揺すったな」と言うと、友達から「ええ、揺するって何が揺するの?」と怪訝な顔をされた。

まあ、全国標準だと「地震が起きる」だろうし。

「地震が揺する」

どういう語源なのだろう。

ちょっとわからない。

揺する をネットの辞書で調べると

「天地揺すりて響く」という宇津保物語からの引用がある。

この場合の「揺する」は「揺れる」という意味だと書いてある。

まあ、それが国語の解説としては正しいのだと思う。

ただ、「地震が揺する」という表現

どこか 貧乏揺すり のように 地球が自らの身体を揺すっているというイメージがあると僕は思う。

伊勢物語の中に「雷が鳴る」という意味で「神鳴る」という表現があったと記憶している。

雷は神が鳴る

地震が揺する もそれに近い感覚なのではないだろうか

地震 が 地の神様で それが地面を揺する そういうイメージであるような気がする。

もちろん 僕は学者でないし、文献を当たって語源の研究をしたわけではないので、単なる想像だけれど、、、。

いずれにしても 岐阜や名古屋地域ではいまでも バカのことを たわけ というし
「失礼します」というシチュエーションで「ご無礼します」という人もいる。

このように古めかしい表現が岐阜、名古屋地区に現役で残っているのは面白いといえば面白いと思う。

「芋穴のなかに落ってまっとった」というのは標準語に直すと
「芋穴の中に落ちてしまっていた」となる。

そういえば八王源先生 いやなことがあると
「いやんなってまう」というのが口癖だったなとしみじみと思い出す。
※「いやんなってまう」は標準語に直すと「いやになってしまう」です。

まあ、いやなことがあっても「いやんなってまう」と言って、頭をポリポリ掻いて過ごすことができればそれは一つの幸せだとは思う。

2日ほど前の岐阜の地方紙に岐阜県出身の総理大臣が一人もいない理由の一つとして 岐阜県人は野心が少ないということが書いてあった。

それは「落ちてまう」とか「いやんなってまう」とか、生ぬるい言葉を使っていては野心も鈍るのかもしれないと思ったりもする。

野心もときと場合により必要とは思うけれど、、、。

それはともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。