今日の岐阜の地方紙のコラムで昆虫食のことが話題になっている。
かつて日本は特に内陸部を中心に昆虫食大国だったけれど、様々な理由から衰退した。それがここにきて世界的な人口増による食糧難から再び昆虫食が注目されていることにコラムは触れている。
岐阜県選出の野田聖子衆議院議員は自民党総裁選の討論会で小学生から昆虫食について質問され「おばちゃんは、昔から虫を食べています。しょうゆと砂糖で煮て食べると、まあまあおいしいです」と答えられたという。
そんなことを紹介するコラムは次のような言葉で結ばれている。
「5年後には、昆虫食の世界市場規模が数千億円に達する見込み。当たり前に昆虫を食べるようになる日も近いかもしれないが、せめて姿をとどめない形での販売をお願いしたい」と。
この文章の結びを読んだとき、筆者は①若い世代の人 ②虫の苦手な(たぶん)女性 ③特に虫の苦手な人ではないが、若い人あるいは虫の苦手な人に配慮してぶりっ子してこのように文章を結んでいる。
のいずれかではないかと想像した。(個人の想像です)
そして、「姿をとどめない形で昆虫食を」という主旨の文章の結び方をするのは残念なことだなあと思った。
僕も子供のころ、イナゴの佃煮をよく食べた。野田聖子さんが言っておられるように、しょうゆと砂糖でイナゴを煮ると、川魚のモロコやあゆの稚魚などの佃煮とほとんど同系統の味がする。と記憶している。
というかイナゴのほうが魚よりパリパリ感があって、臭みもなく、おいしいと感じる人もきっといることと思う。
ただ、イナゴの足はすごい筋肉で結構硬いので、時々のどにひっかかるというよりも、舌や口の内側の皮膚にチクっとした感触を与えることがあるけれど、、、。
あと思い出すのが蜂の子ご飯。
見た感じは、味付けの炊き込みご飯の中に黄色いウジ虫がいっぱいいる感覚だ。これもなかなかこたえられない味で、たまに食べるとおいしかった。
モロコの姿煮なども、形に慣れていればみんな違和感なく食べるのと同じことで、イナゴの佃煮も、蜂の子ご飯も慣れれば、そして、おいしいという感覚がわかれば、おいしい魚の佃煮を見ると食欲が出るのと同じことで、食べたいという気持ちが湧いてくることと思う。
昆虫食は姿をとどめない形での販売を という文章の結びはやはり残念だなと思う。
もとの姿をとどめないものばかり食べていると、食に対する意識が低くなってしまうように思う。
そして、それは、人間の生存のためにきっと良くないことのような気がする。
食べることは生きるために必須の条件だから、、、。
そういえば、布団の中に学生にイナゴを入れられて、「布団の中にバッタを入れるとは何事か」と学生に詰めよると「それはバッタではない、イナゴぞなもし」と逆に学生にやりこめられたのは夏目漱石の坊っちゃんの主人公だったっけ。懐かしいなと思う。
それはともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。