■戦争
僕はテレビを今 持っていなくて、なので、ほとんど見ない。
だから、今度のロシアの戦争もおそらくはテレビでなされるであろう劇場型の報道に接するということはあまりない。
しかし、新聞の紙面に戦争の話が毎日載っているとさすがにどんよりとした気持ちになってくる。
ここ数日 一般的には右寄りと言われる全国紙と 岐阜の地方紙を読んでいる。
そして、どちらかというと 岐阜の地方紙のほうが戦争については淡々とした書き方がなされていて、精神衛生上はこちらのほうがいいなと思ってしまう。
どのような問題でもそうだけれど、戦争に関する扱いも新聞によって温度差はあるものだなとは思う。
■立夏も近く
お菓子の店をのぞくと 鯉のぼりの絵というよりも模様を描いた箱に ひまわりサブレを入れた商品を売っている店がある。
カレンダーを見ると今年は 八十八夜が五月二日 立夏が五月五日になっている。
初夏に向かって季節が進んでいることを感じる。
一方で朝晩は結構 涼しいけれど 日中になると暑いくらいということで、あたらしい季節に身体が慣れていくのが待たれるなと思う。
■受動的な心
シューマンの交響曲を今までそれほど聴いたことがなかったけれど、この一か月くらい 聴く頻度が高くなったなと思う。
ネビル マリナー指揮
アカデミー オブ セントマーチン イン ザ フィールド
が演奏した全集を以前からもっていたけれど
今までほとんどCDの棚に眠っていた。
なぜ、聴く頻度が高くなったのだろう。
たぶん、シューマンの交響曲がもつロマンチックな特色に心が引かれているかだと思う。
今までの人生でこれだけシューマンの交響曲を聴いた一か月というのはないから、ちょっとこれは気持ちの変化だなと自分で思う。
結局 何を好きになるかというのも 能動的であるようで実は受動的であるのだろうと思う。
心の動きというのも 考えてみれば、思いたくないことを思ってしまったり、これは受動的であるなと思えてくる。
そういう受動的なものにどう対処していくかということが心の持ち方としてたいせつなのだと思う。