ケンのブログ

日々の雑感や日記

たいくつ 夏至も過ぎて

2022年06月23日 | 日記歌入り
気づけば夏至もすぎましたね。

もうこれからはだんだん日が短くなっていきます。

そう考えると一年は早いような気がします。

新聞は物価高と円安の話でもちきりです。

円安は輸入品が高くなり物価高に影響します。

しかし一方で円だてのサービスは外国人から見れば安くなるので また外国人がやってきて日本でお金を使ってくれる そういう需要が見込まれる とうことも新聞に書いてありました。

僕は大阪で長年暮らしていたので また 家電量販店などに外国の方が大挙してやってくる姿はあまり楽しみなこととして想像したくはありません。

もちろん かなしいことでもないですけれど。

日本が輸出大国だったころは 円安になると 日本の製品が海外で安く売れて 輸出に有利だぞ となるわけです。

しかし、そういうことはほとんど新聞には書いてなくて 円安による 物価高の懸念に意識の多くの部分が注がれています。

そういう時代なのですね。

物価高の一例として 東海地方のブロック紙には モーニング発祥の地 愛知県一宮市の喫茶店でもモーニングを値上げせざるを得なくなったという話が紹介されていました。

一宮市がモーニング発祥の地とはどういう根拠なのか知りませんが そういう書き方をするところがブロック紙の面白さなのだと思います。

そういえば有名なカレーショップの本社も一宮だったような気がします。

■たいくつ
井上陽水さんの「たいくつ」という歌をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

1972年に「陽水Ⅱセンチメンタル」というアルバムでリリースされた歌です。

僕はこの歌をそのアルバムではなく「陽水ライブもどり道」というライブアルバムで知りました。

こんな歌詞です

「つめがのびている 親指が特に 伸ばしたい気もする どこまでも長く」
「アリが死んでいる 角砂糖のそばで 笑いたい気もする 当たり前すぎて」
「手紙が僕に来る 読みづらい文字で 帰りたい気もする ふるさとは遠い」

歌詞をよめばわかりますが 例えば一番
「つめがのびている 親指が特に」 というのは「親指が特に」という副詞の働きをする節を「伸びる」という動詞のあとに持ってくるわけですから一種の倒置法です。

普通の語順だと「親指が特に伸びている」となるわけですからね。

以下もすべてそう 「伸ばしたい気もする どこまでも長く」 も普通の語順なら
「どこまでも長く伸ばしたい」となるわけですからこれも倒置法です。

以下 すべて歌詞が倒置法で構成されています。

陽水さんの巧みな修辞の使い方が見事に表れた歌詞だと思います。

「アリが死んでいる 角砂糖のそばで」も普通の語順なら「角砂糖のそばでアリが死んでいる」となるわけですが倒置法により「アリが死んでいる」が先に来ています。

だから「アリが死んでいる」というその様子に聴き手の注意が注がれます。

見事ですね。

「アリが死んでいる 角砂糖のそばで」とは 何か悲しくて物憂げな感じですね。

その悲しくて物憂げな感じを陽水さんは「笑いたい気もする 当たり前すぎて」と表現しています。

この笑いは 明るい笑いではなく 物憂げな気持ちをともなった 言葉につくせない笑いです。

こういう物憂げな気持ちを 素直に表現する あるいは 物憂げなことを 物憂げだと自分で感じる そういう気持ちが現代の私たちから失われてしまっているような気がします。

よく、涙を流すと ストレスが下がる ということが言われています。

それと同じように 物憂げな感情を押し殺すのではなく こうして 「アリが死んでいる 悲しいけれど なんとなく笑いたいなあ」 という具合に 物憂げな気持ちを自分で客観視するところに 悲しさとともに 救いもあると僕は思うのです。

物憂い気持ち 悲しい気持ちを自分なりに認めて そういう気持ちもいつくしむ
そういう考え方も大切なのではないでしょうか。

僕はそのように思います。 

↓井上陽水さんの「たいくつ」をカラオケDAMの音源で歌いました。