ケンのブログ

日々の雑感や日記

毎日無事でありますように

2019年06月15日 | 日記
ネットを見ていたら
6月1日、元農水事務次官・熊澤英昭容疑者(76)に殺害された、長男・英一郎さんの母校は、名門・駒場東邦中学校・高等学校と出ていた。
僕、予備校に勤めていたので
ある程度わかるのだけれど
駒場東邦って例年東大など
難関大学にかなり多くの合格者を出す学校だ。
このレベルの学校って
かなり頭のいい人でないと
いくら努力しても合格しないと思う。
実際ネットにでている栄一郎さんの
高校時代とされる顔を見ると
かなり賢そうな顔にみえる。
なんとなく、このまままともにいったら
一流企業に勤めるか
お医者さんになるか官僚になるか
そんなような顔であるようにみえる。
本当に両親も本人も大変だったろうなと思う。
八王源先生が
みなさん他人のことは笑ってすごしますけど
それが、いざ自分のことになると
食事ものどを通らないんです
といっておられた。
本当にその通りだと思う。
いろんなことがあっても
まずは毎日無事にすごさせていただけるように
おすがりしていきたいと思う。

夏至も近づいて

2019年06月14日 | 日記
ホルムズ海峡近くを
航行中の日本のタンカーが
二度にわたって攻撃を受け被弾した
というニュースが今日の新聞に載っている。
新聞の地図にはホルムズ海峡を含む
ペルシャ湾の地図が載っている。
ペルシャ湾の地図を見ると
この海域は僕の父が船に乗っていた当時から
危険な海域と言われていたことをしみじみと
思い出す。
何日か前の新聞に
トヨタが電気自動車や
自動運転車の開発競争に
備えるため管理職のボーナスを下げるというような
記事が出ていた。
本当に世界の経済が右肩上がりの時代だったら
研究開発して新しい製品とつくって
もうけるぞという感覚だったと思う。
研究開発のためにボーナスが
下がるなんて本当に私たちが
いまだかつて経験したことのない時代に
なりつつあるんだなとしみじみと思う。



かえるも鳴き始めた

2019年06月13日 | 日記
田植えはゴールデンウイーク明けくらいから
始まるところが多いと思う。
僕が住んでいる地域は例年それより遅くて
五月下旬から六月上旬になることが多い。
今年はいつだろうと思って気をつけてはいたのだけれど
六月に入って駅のホームでかえるの鳴き声をきいて
気づいたら駅近くの水田はもう田植えが終わっていた。
だから、今年も五月下旬から六月上旬に
田植えがあったことは間違いないけれど
日付がいつなのかはわからなくなってしまった。
以前は駅に行くときに水田の前の道を通っていたのだけれど
新しいコンビニができてから
水田の一本西の道を通る習慣になったので
田植えの時期のチェックが漏れるということにもなっている。
ちょっとした習慣の違いで
見える風景も違ってくるものだなと思う。
今日その水田を見るとそこも無事に田植えが
終わっている。
ことしもそんな時期になったなと思う。
地元の議員のかたの広報を見ていたら
水田の景観をそこなうようなマンションの開発が
夏には決まろうとしているという言葉が書いてあった。
夏っていったいいつなんだろうと思った。
議員のかたの広報には夫と二人の子供と
四人暮らしと書いてあった。
なので、夏と言えば夏休みの時期という
イメージで書いておられるのだろうと思った。
僕も夏と言えばずっと学校が夏休みの時期という
イメージでとらえてきた。
最近は二十四節気などの暦をまめにチェックするようになった。
そうすると八月の上旬にはもう立秋で
暦の上では夏休みの時期は
もう夏も末頃もしくはもう秋ということになってしまう。
何に季節の基準を置くかで言葉の感覚もずいぶん違ってくると感じる。
以前、あるかたが「次回お会いするのは
五月の上旬、初夏の頃に」とおっしゃって
そういえば五月上旬、暦の上では確かに
初夏だなと妙に関心してしまったことがある。
知識というのはあると逆に困ることもあるけれど
知識があるのはいいことかなと思うこともある。
できればあるに越したことはないのかも知れない。
論語に
学びて思わざればすなわちくらし
思いて学ばざればすなわちあやうし
という言葉がある
これをちょっとあるウェブサイトで調べたら
こんな訳が出ていた
「学ぶだけで思考しなければ知識を生かすことができず、
思考するばかりで
知識を学ばなければ賢明な判断ができない」という意味だと。
要するに知識を得ることと
実際に自分の心で感じたり考えたりすることの
バランスが大切ということなのだろう。
本当に古い言葉というのは
そういう事柄をむだなくきれいに表現しているものだな
と思う。
だからそういう言葉はいつまでも
残っているのだろうけど。

駅でゴミ箱を見ると
サミット開催のため6月24日から29日まで
ゴミ箱は使えませんと書いてあった。
以前、東京に何かのおりにいったときに
やはり防犯のために駅のゴミ箱が
すべてガムテープなどでふさがれていて
使えないことがあった。
僕のようにちょっとコンビニでおやつをかって
駅のゴミ箱にほかす
という習慣のあるものには
ゴミ箱が使えないというのはけっこう不便だ。
もうずいぶん昔
レーガン大統領が中曽根首相に会いに来たとき
その数日前に僕は日比谷の図書館に行った。
日比谷の図書館のそばには日本の中央官庁
がいっぱいある。
本を読むあいまの休憩に
ちょっとその中央官庁街を僕は散歩していた。
ここが日本の心臓部かと思って。
するとヘルメットをかぶって
ながい警棒を持った警官が
「ちょっと失礼します」と僕に声をかけてきた。
「なんですか」と僕は言った。
「あなた、同じところをこれで3回通ってますね。
今レーガン大統領の来日前の警戒をしているんです。
すみませんがちょっと荷物見せていただけますか」といって
鞄のチャックを開けさせられた。
別に中には筆箱とかほんとかそんなものしか
入っていないので疑いは晴れた。
ぼーっと考え事をしながら歩いていたので
同じ場所を3回通ったとは気づいていなかった。
今度の大阪サミットでは警官に
声をかけられないように品行方正にしたいとは思う。
職務質問をされるというのは
10年以上たってしまえばいい思い出になるけれど
質問をされた瞬間は
やっぱりあやしまれたのかなあと思ってけっこうへこむので、、、。





高齢社会

2019年06月12日 | 日記
金融庁から老後の蓄えとして
2000万円必要だと言う報告書が
出たというようなことでここ数日
ラジオでいろいろな話が出ている。
なんか普通に給与所得者として
生活していたら実現が極めて困難な
額であるように思う。
これは金融庁が言っているのかどうか
ラジオではわからなかったけれど
2000万円くらいためるのには
金利の低い今、投資が必要なのだ
という話もラジオで出ていた。
ちょっとそれも非現実的な話であるように思える。
それだけの儲けがでるように投資していたら
投資の勉強に気を使って本業が
おろそかになってしまうようにも思えるし。
本当に過去に経験したことのないような
高齢社会で人口も減少、
どうなっていくんだろうと思う。
政府は70才まで働ける社会を目指すというような話も
出ていた。
それは元気なうちは働くのがいいかもしれないけれど
いくら寿命が伸びても70才になれば
かなりいろんな能力が落ちている人が大半だと思う。
先日、歌声サロンにいっていて年を取ると
若い人と同じことはできないとしみじみと思った
できごとがある。
歌の先生が次回のプログラムを持ってくるのを
忘れられた。
みんなに次回のプログラムを配ろうとしたときに
先生はそれに気づいた。
原本は先生の手元にあるのだけれど
みんなに配るコピーは
ほとんど一部もなかった。
それで若いピアノの先生が気を利かして
みんなに呼び掛けた
「ここに原本をおいておきますから
皆さんスマホで写真を撮って帰ってください
それであとで画像を拡大してみれは次回の
プログラムはわかります」と。
言われてみたらその通りと思いつつも
もう僕もスマホを手放してしまっているので
スマホで撮って拡大して見るといっても無理だ。
タブレットでやってできないことはないけれど
タブレットはでかいのでそういうとき
スマホほど気軽には使えない。
みんなはどうするだろうと思って見たら
誰も写真を撮る人はいなかった。
歌声サロンに来ている人は60代
70代という年齢の人が大半だ。
そういう年齢になると
若い人があたりまえにできることが
ほとんど誰もできなくなるんだなとしみじみと思った。
スマホを持っている人は少なからずいるのだけれど
スマホ、写真、画像という風に
とっさに頭と体が反応しないのだと思う。
実際にお茶会などに来ている50代
くらいまでの人だったら会記の写真を
みんな当たり前のように撮っているので、、、。
そんな年齢まで働いて
仕事が趣味という人はいいかもしれないけれど
そうでない人はどう思うんだろうと考えてしまう。


よい方向に

2019年06月11日 | 日記
昨日ネットの動画ニュースを見ていたら
秋田でオスプレイの配備に関する
防衛省の説明会があって
その場面で後ろの列に座っていた
同省の職員が居眠りをしている映像が出ていた。
住民が「そこのいちばん後ろの方。
居眠りしてましたね。
僕たちの人生がかかってるんですよ。
何を考えているんですか」というようなことを
住民がかなり厳しい口調でいっていた。
それは大切な説明会で
職員が居眠りをしていては
住民の方は頭にくるだろうと思った。
だいたいこういう自衛隊の配備とか
原子力発電とかの問題になると
沖縄や東北の方にしわよせが
行く場合が多く
それはそういう場で居眠りと言うのは
本当に地元の方に申し訳ないと
思う気持ちにかけていると思った。
しかし、ネットでちょっと調べてみると
居眠りをした職員のかたは
説明会の資料を作るために
何日が徹夜をしたということが
書いてあるサイトもある。
そうだとすれば
ねむければ説明会を休むとかの
手段はなかったのかと思ってしまう。
本当にいろいろと負の連鎖というのは
重なるときは重なるのだなあと思う。
なにごともだんだん
よい方向に向かっていきますようにと思う。