ケンのブログ

日々の雑感や日記

息を吐き切る

2019年07月16日 | 日記
朝、マンションの1階の柵のところにからすが一匹とまっていた。
そこへ別のからすがやってきて、はじめからいたからすの
左隣にとまった。
あとから来たからすがそこで鳴いた。
僕はからすの鳴き声に詳しくないので
どういう意味でからすが鳴いたのかわからない。
ただからすが鳴いたなと思ってその二羽のからすの方を
キッとにらむような形になってしまった。
からすは僕の視線に気づくとなぜか鳴きやんだ。
しかし、僕がまた歩き始めて
からすから死角の位置までくるとからすはまた鳴き始めた。
からすは頭がいいんだなと思う。
でも、僕の姿が見えなくなるとまた鳴き出すというのも
なんか性格悪そうにも思えるのだけれど。
まあ、鳥の性格は人間にはよくわからないのだと思う。

昨日、隣の町の歌声クラブに行った。
ゲストとしてミニコンサートをされた
プロのソプラノ歌手の方が
「息は吐ききることが大切。
中途半端に吐いてまた吸おうとすると
吸うのも中途半端になってしまいます」と言っていた。
なんかそう言われるとその通りだなと思う。
あと「私は舞台で上半身に力が入っているなと思ったときには
膝を軽く曲げてまた伸ばすような動作をします。
膝を曲げると大概は上半身の力は抜けます」と言っておられた。
やはり、舞台に立つかたは自分の体感で
いろいろ工夫しておられるのだなと思った。
上体に力が入るというのは
相撲でもあまり実力を発揮できない状況と
言われることが多い。
下半身からの踏み込みが大切であると。
相撲も歌も似たところがあるのかも知れない。


夏祭りの季節

2019年07月15日 | 日記
僕がとっている読売新聞の英字紙の一面に
盆踊りの写真が載っていた。
見た瞬間に郡上躍りの写真とわかった。
なつかしいなと思う。
写真のしたの文章を読むと
郡上躍りは7月13日土曜日に始まったと出ていた。
土曜日は雨が降っていたので浴衣の上にかっぱを着て
踊るひとの写真が新聞には載っている。
そんなものこの時期にかっぱなんか着て踊っていたら
しばらくすると暑さで耐えられなくなるのではないかと
心配になってくる。
写真撮影の時だけかっぱを着ていたかもしれないと
想像してしまう。
京都の祇園祭に岐阜県の郡上躍り。
夏だなと思う。
昨日ちょっと携帯テレビで相撲放送をチェックしたら
レスリングの吉田沙保里さんがゲスト解説に出ておられた。
ちょっと解説を聞いていてすごいなと思った。
ある力士が落ちて負けたとき
沙保里さんは
「落ちるから前に出てはいけないということではなく
ここは落ちてもいいから前に出ないといけないんですよね」と言った。
やっぱりとっさの言葉の出方が沙保里さんはすごいなと思った。
日頃、相撲を解説している親方なら
「負けましたけれど、前に出ていますから
こういう相撲でいいんです」という言い方をする場面だと思った。
沙保里さんは相撲の専門用語を使わずに
とっさに自分が感じたことを
その場の感覚で言葉にするからわかりやすいし
説得力があると思った。
高安と玉鷲の相撲で
勝負が決まった瞬間
高安が肘をかばうそぶりをした。
たちどころに沙保里さんは
「痛そうですねえ。勝負しているときはアドレナリンが
出ているから痛みを感じませんが
勝負が終わると痛くなるんですよね。
腕を抜いたときに痛めたと思います」と言った。
それでスローを見ると
なるほど玉鷲が小手投げを打ったときに
高安の肘が決まってしまっていて
高安がたまらずその肘を抜いた場面があった。
小手に決まるという言葉を使っていないだけで
まったく沙保里さんの指摘の通りだった。

沙保里さんはレスリングの練習に取り組むときの
気持ちの持ち方としてこんなことをいっていた。
「自分だけが苦しいんじゃないと思うと
頑張らなきゃ、という気持ちになる」と。
それを聞いたとき僕は仏教の大切な考え方の
ひとつである一切皆苦という言葉を思い出した。
一切はすべてが苦しみである。
そう悟ったときに人は苦しみから遠ざかり離れる
という意味だ。
苦しいのが当たり前と思うと
苦しいのも耐えられるという考えにもつながるように思う。
「苦しいのは自分だけじゃない」
本当にスポーツ以外の場面にもあてはまる大切な
考え方だなとしみじみと思った。

※吉田沙保里さんの言葉は記憶で書いているので
正確さを欠きます。ご了承ください。

祇園祭の季節

2019年07月14日 | 日記
朝、セミの鳴き声が今年に入って
もっとも大きく聞こえたように思う。
まだ、曇りもよう雨模様の日が続いているので
セミと言ってもちょっと季節外れのようにも感じられるけれど
確実に盛夏になっているのだなと思う。
自宅の近所のM神宮のお茶会にいく。
鳥居から門までの短い参道を通る。
カエデの葉が黄緑色に変わってきている。
もう新緑の緑ではないのだなと思った。
アジサイもきれいに咲いていたけれど
花の盛りはちょっと過ぎたようにも思う。
お茶席で出していただいた主菓子は行者餅だった。
これは行者餅ですけれど本来の行者餅は
七月十六日限定ですのでこれはにせものですと
ご亭主はおっしゃった。
けれど、まあ七月十六日でないから
にせものということで味は七月十六日のものと
変わらないのではないだろうかと思った。
いずれにしても行者餅が出るのはやはり
祇園祭の季節だなと思う。
干菓子はカエデの形をしているように思った。
二服めのお茶をいただいたとき隣のかたが
一服目と味が違うとおっしゃった。
そういわれればそのようにも思えるけど
僕にはちょっとわからない。
一服目が熱い目で二服目がぬるめだったのは
感じたのでそれを隣のかたに言うと
そうですね一服目は行者餅に合う味だったと
おっしゃった。
そういわれればそんな気もする。
隣のかたは行者餅は美味しいですねとおっしゃっていた。
今日は待ち合いについてすぐにお茶席に
通していただいたので待ち時間がなかったのは
いいけれどまだ汗が引いていなくてそれは
ちょっと困った。
困ったと言っても大したことないけど。
お茶席を退いてから
会記を見た。
ナツメのもようが仏桑花(ブッソウゲ)と出ていた。
僕の右隣で会記を見ていた人が僕に漢字の読み方を
聞いて僕がさあなんと読むんでしょうといっていたら
僕の左隣の人がブッソウゲと読みますと答えられた。
お茶席でハイビスカスかなと話していたんですよ
と僕の右隣の人が言った。
あとで調べてみると仏桑花とハイビスカスは同じ意味であると
いうことがわかった。
僕はお茶席で隣の人にこの花なんでしょうと聞かれたときに
菖蒲かなあ、でも葉の形が違いますね。
わかりません。と答えた。
それは菖蒲と葉の形が違うはずたと思った。
寅さんが沖縄で朝丘ルリ子とロケをして撮影したのが
寅次郎ハイビスカスの花だったなあとしみじみと思い出す。
あのときの寅さんは夏の沖縄で本当に暑そうだった。

高名の木登り

2019年07月13日 | 日記
朝、ラジオを聞いていたら
リスナーからのお便りとしたおよそこんな話が
紹介された。
旦那と娘と車でドライブに行った。
旦那は土地勘のない町で
抜け道に入った。
ところがうまく抜けられず
道に迷うような形になってしまった。
私が「さっきの道を通ればよかったのに」というと
旦那は車を停止させ私と娘は車を降りることに。
旦那は私と娘を残して走り去ってしまった。
しばらくして旦那は戻ってきたけれど
それ以来、私は旦那の運転に
一切口だししない約束になった。
とだいたいこんな内容のお便りだった。
それを聞いたときこれは申し訳ないけれど
奥さんがいけなかったなと思った。
旦那は道に迷ってしまったと思いつつ
なんとか運転を立て直そうとしている。
危機感と多少の自責の念を感じて
運転を立て直そうと集中しているときに
さっきの道を通ればよかったね
となんの解決も導かないばかりか
著しく感情をさかなでする言葉を発すれば
激怒を招くのは目に見えている。
これはこの旦那ほど怒るかどうかの
差はあっても多くの男は
かなりムッっとくるシチュエーションと思う。
奥さんの失言であったように思う。
このお便りを聞いて
徒然草の高名の木登りの話を思い出した。
だいたいこんな話だ
木登りの名人がある人に
高い木の枝を切りにいかせた。
あるひとが木から降りてくるとき
木登り名人はまた危ない場所に
人がいるときは声をかけなかった。
もうここからなら飛び降りても大丈夫という
高さになって初めて木登り名人は
気をつけて降りるようにとその人に声をかけた。
とだいたいこんな話だ。
危ないときにはいやでも気をつけるし
緊張もしている。
そんなふうに人が緊張しているときに
声をかけたらよけいと危ない。
安全と思われるタイミング
逆に言えば油断して怪我をしがちな
タイミングになって初めて気をつけてと声をかける。
本当に人間の脳のしくみという観点から
言っても極めて本質的に的を射た
徒然草の指摘であると思う。
年月を経ても色褪せない指摘だからこそ
その文章が長い間、人に読まれているのだとは思うけれど。
ラジオにお便りを出した奥さんも
旦那が道に迷っている状況を
脱して緊張が解けてから
「大変だったね。今から思えば
最初の道をそのまま行ってもよかったかも」と
声をかければきっと円満だったとは思うのだけれど。
本当に徒然草の指摘は今日的な
話題にも十分に通用するなとしみじみと思う。




七月十二日

2019年07月12日 | 日記
数日前歌声サロンに行った。
遅れてきたおばあさんを先生は
なんとなく僕の隣の席に案内した。
一曲目の唱歌を歌った。
「あんたいい声やねえ。
あんたが歌うと明るい」とおばあさんは言った。
「ありがとうございます」と僕は言った。
「あんた、歌うまいわ」とおばあさんが言った。
「おばさんもよく声出てますよ」と僕は言った。
「あんたの口見てあわせて歌ったから声が出た。
でも私間違えるから」とおばあさんが言った
「ここの歌声サロンは間違えてもいいんですよ」と僕は言った。
「いや、こんな上手なひとの隣で
私恥ずかしいわ」とおばあさんは言った。
「いいえ、そんなことはありません」と僕は言った。
「あんたの声聞いてるとユキトシ君のこと思い出すわ。
ユキトシ君歌がうまかったから音楽の先生が
いつも、はいユキトシ君歌ってって言ってたわ」とおばあさんは言った。
「そんなひとのこと思い出していただいてありがとうございます」と僕は言った。
もちろん僕はユキトシ君のことは知らないけれど、、、。
「あんたレコード出してるの」とおばあさんは言った。
「いいえ僕、レコード出してません」と僕は言った。
「若い頃はレコード出してた」とおばあさんは言った。
「いいえ、若い頃も今もレコード出してません」と僕は言った。
「ほんまにうまいわ
どうしてそんなにうまいの」とおばあさんは言った。
「好きだからです」と僕は言った。
「歌の練習してるの」とおばあさんは言った。
「はい、お風呂でしてます」と僕は言った。
「私、今日昼まで暗かったけど
あんたの歌聞いたら気分よくなった」とおばあさんは言った。
「それはありがとうございます」と僕は言った。
「あんた、そんなに歌が歌えたら人生
ルンルンでしょう」とおばあさんは言った。
「いいえ、そんなことはありません」と僕は言った。
かなり認知機能がおとろえているような感じの
方だったけれどそれでもほめていただけると
うれしいなと思う。