昨日は、文学座の舞台「赤い月」を観てきました。
脚本 なかにし礼
演出 鵜山 仁
主演 平 淑恵
「赤い月」を書きたい一心で小説家になったと、なかにし礼さんは言います。
数年前に常盤貴子さん主演で映画化され、彼女の濡れ場が話題になりました。
その映画が納得いくものではなかった彼は、この舞台の台本を自ら書き下ろしたそうです。
主人公はなかにし礼さんの実母、森田波子。
戦中戦後を子供のため、自分のために、強靭な意志を持って生き抜いた女性です。
満州に大きな夢を抱いて夫とともに渡ります。
波子の初恋の相手、関東軍参謀、大杉の庇護を受けて、造り酒屋として成功し、財をなします。
私が一番好きだったシーン。
満州で成功し、絶頂期にあったある日、大杉から
「逢いたい」
という手紙をもらう。
夫に逡巡しながらも
「逢いにいっていいか?」
と尋ねる。
大杉が、まだ自分の妻を愛していると知っていながら
「一番いい着物を着ていけ」
と、嫉妬する気持ちをかくして妻を男のもとに行かせる。
「でも12時までには帰ってこいよ」
と一応釘をさす。
浅黄色に牡丹の絵柄の着物に、白っぽい帯をキリリと締めて出かける波子。
(この時の、平淑恵さんは本当に綺麗でした。女の色香が匂いたつ、そんな感じ。)
「奥さまは?お子さんは?」
と聞く波子。
「結婚はしていません。今でもあなたを愛しているから」
シンデレラタイムは過ぎてしまいます。
罪悪感を感じながら帰宅した彼女。
夫は、そんな彼女の前で
「もっと、もっと事業を大きくする!!!」
と宣言し、小指を落とし決意の程を彼女に見せつける。
その後、ソヴィエト軍の満州侵攻によりすべてをなくし、大杉も戦死、夫も病死します。
その後も彼女は恋をし、必死に生きていきます。
子供達からは、父を裏切った「身勝手な母親」と非難されます。
「あなた達は、私の一部。私が死ねばあなた達も死ぬ。だから私は生きなければならない。私が生きるためには、愛が必要!」
と波子は子供達に叫ぶのでした。
彼女のエネルギーの源は、男の人を愛する事、愛される事だったのですね。
今「国家の品格」がベストセラーになっている数学者の藤原正彦さんの母、「孤高の人」の新田次郎の奥様藤原ていさん。
彼女の書いた「流れる星は生きている」も全編、幼い命を守る強い母親が描かれています。
この本もぜひ読んでみて下さい。
この本の次男があの藤原正彦さんになるんだと思って読むと又、違った見方も出来ます。
この休憩をはさんでの3時間の間に3人の男性から
「ナミコサン アナタヲ アイシテイマス」
と言われ、それが
「タミコサン アナタヲ アイシテイマス」
に聞こえて、そのたびにドキドキした私でした。
今日の私の小さな幸せ
今日は朗読の勉強会。
「文字を起こして読む」
う~ん、やっぱりむずかしい!
高校時代に読みました。
戦争を知らない世代の私たちにも生々しく伝わる壮絶な引き上げ風景、今でも脳裏に焼きつき離れません。その後、戦争について詳しく知るきっかけとなりました。
当時の人たちのとてつもない心の強さ、今の時代の我々にも受け継がれているのだろうか。
常盤貴子さんの演じた母親は
身勝手な女の人にしか見えず
感情移入できませんでした。
やはり、なかにし礼さんも納得できなかったんですね。
「赤い月」も「流れる星は生きている」も読んだことがないので、とても興味深いです。
両親が満洲開拓団の一員として中国に渡りシベリヤ抑留や引き上げを経験して、幼い頃に辛くて悲しい話をいろいろと聞きました。
私の母親は「生きるためには、愛が必要」なんて、とても思えない人(笑)でしたが、ああした時代を生き抜いてきたからなのか、子どもを守る「強い母」というイメージをもっていたですね。
う~ん、あの本を高校生の時に読んだんですか!
どういういきさつで手に取られたんでしょうか?
多感な高校生位に読んで欲しい本ですけれど。
あの強さは受け継いでいかないといけないとは思うのですが。
今は豊か過ぎるのでしょうかね?
赤い月を書きながらこの映画kazuさん観たんだろうなって思いました。
やっぱり観られてましたか、流石ですね。
そう、身勝手と言えば身勝手なんですが、母である前に女になってしまい、近頃の女性が子供を捨てて男に走る。
彼女は男にも走りますが、母を捨てる事はなかったんですね。
そこが舞台ではよく描かれていたと思います。
ご両親はずいぶんご苦労されたことでしょうね。
「流れる星は生きている」ぜひ読んでみてください。
ご両親、特にお母様のご苦労がひしひしと伝わってくる事だと思います。
私はこの本、斉藤孝さんが「理想の国語教科書」という本の中で一部を紹介しているのを読んだんです。一部だけでなく、すぐに全部読みたくなりその足で図書館に走りました。
ブックオフでも結構あります。
お読みになる時は」ハンカチが入りますよ。ティッシュは値上げされますので。(笑)
観劇には行く機会がないのですが、いつかは自分が好きな物語を生で見たいと思っています。
終戦になってわたしの祖母は父と一緒に朝鮮から帰ってきたんです。その時に苦労したことはわたし達には見せませんでしたが、大変だったと思います。愛が生きる原動力だと言うのは分かります。
そうでしたか、ご苦労されたんですね。
私も、藤原ていさんの本を読んではじめてその時の事を知ったんです。
ところでここ大分は生で舞台を観る機会がほとんどありません。福岡までいかないと観れないんですね。
そこで市民劇場っていうグループがあって、九州全体でお金を出して、地方に来てもらっています。
だから、ニュージカルだったり、この前の奈良萌子さんと仲代達矢さんの舞台を観たりできます。