今年は久しぶりにジョンの命日に関する報道が多く見られた。
『イマジン』(88)(1989.8.23.)
ジョン・レノンはフィルムドランカーだった…
この映画、公開時には、見ようか見まいか随分迷った。それは、どうせまたヨーコが商魂を発揮した、ジョンを聖人化したものだろうという疑いと、自分自身の彼への思い入れの強さが相半ばしたからだが、結局見ずに終わった。ところが、ビデオの手軽さに負けて、とうとう見てしまったのである。
見終わった今、改めて感じるのは、そのプライベートを記録した膨大なフィルムから、ジョンが相当なフィルムドランカー(記録魔)であったことと、彼が凡人とは全く違った感覚を持った、まさに紙一重という言葉が相応しい人だったということであった。
その衝撃的な死を経て、残念なことにジョンは聖人化、神格化されてしまったのだが、ビートルズ時代も含めて、その音楽的な面はもちろん、たかが数年の間に劇的に変化した風貌と性格、カリスマ性、皮肉屋、性格破綻者、駄目男ぶりなどが、彼を多面的かつ魅力的な人間だと感じさせるのである。彼は決して単純な“愛と平和の人”ではないのだ。
また、この映画は、去年テレビで見た「ジョン&ヨーコ・ラブ・ストーリー」と重なる部分が多かったため、新鮮味に欠けるところがあったのだが、一つだけ心に残るシーンがあった。
それは、ジョンの豪邸に忍び込んだヒッピーとの会話だ。何とか歌詞の意味を探ろうと質問するこの男に対して、しどろもどろになるジョン。作ったものが独り歩きしてしまう天才の孤独が垣間見え、その後の「腹減ったろ、一緒に飯食おうか」というジョンの優しい一言が救いとなるのだが、この光景の裏返しが、彼の最後と重なるところもあり、感慨深いものがあった。
そして、さまざまな紆余曲折を経て、「スターティング・オーバー=再出発」しようとした矢先の死が、ジョン・レノンの最後では、やはり悲しい。残された者のそんな思いが、この際ヨーコの商魂云々は抜きにして、こうした映画をいまさら作らせたのだと思いたい。
「イマジン」「ハウ」「ジェラス・ガイ」…ジョンのバラードは痛く苦く心に響く。これは甘いバラード作りの名手であるポールとはまた違った資質であり、この2人が一緒に曲を作っていたのは、やはり奇跡だったとしか言い様がない気がした。
昔、友人が「友だちにするならポールだけど、親友にするならジョンだ」と言っていたのを思い出した。
【今の一言】この映画には「リアル・ラヴ」のデモ音源が使われていたが、「ザ・ビートルズ・アンソロジー」プロジェクトの一環として、ポール、ジョージ、リンゴがこのデモテープに手を加え、「フリー・アズ・ア・バード」に続く“ビートルズの新曲”として1996年にリリース。ビートルズの最後のシングル作品となった。
https://www.youtube.com/watch?v=ax7krBKzmVI