『許されざる者』(92)(1993.6.17.渋谷東急)
頑固者に幸あれ
この映画の監督・主演のクリント・イーストウッド、助演のジーン・ハックマン、そして『セント・オブ・ウーマン 夢の香り』(92)のアル・パチーノ。この3人がそれぞれ監督、助演男優、主演男優賞を手にした今年のアカデミー賞の授賞式を見ながら、共に70年代のニューシネマ全盛期にピークを迎え、80年代にはスランプに陥り、90年代の今また復活してきた男たちの姿として、自分は勝手に“70年代の復讐”と呼んだ。
とはいえ、ハックマンとパチーノに比べると、イーストウッドのキャリアには複雑なものがある。50年代にデビューするも、なかなか日の目を見ず、イタリアに渡ってセルジオ・レオーネによる一連のマカロニウエスタンに主演し、逆輸入の形でハリウッドに戻り、ドン・シーゲルと組んだ『ダーティハリー』(71)でやっとスターの座に就く。
つまり、ハックマンやパチーノがニューシネマの到来とともに、時を得て登場してきたのとは明らかに違うし、その分、屈折度も激しいわけである。
それ故か、彼が演じてきたキャラクターは、『ダーティハリー』シリーズのハリー・キャラハンを筆頭に、単純な正義の味方ではなく、善悪を超越した妖気やすご味を感じさせるものが多かった。
加えて、監督作もデビューの『恐怖のメロディ』(71)から一貫して、一筋縄ではいかぬ異色作を作り続け、愛人のソンドラ・ロックを堂々とヒロインとして使い続けるなど、頑固なところもあったから、その毒気に当てられて、彼の映画を敬遠した時期もあった。つまり、いつの間にか自分にとっては苦手なタイプの監督兼俳優になっていたのである。
そして、この映画は、その長所も短所も含めて、過去のイーストウッドの映画の集大成のようなものだと感じたし、ケビン・コスナーの『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(90)の登場で、もはや昔ながらの西部劇は作れなくなったと思ったが、この映画も暗く、屈折した西部劇になっていた。
ただ、イーストウッドが不遇時代に仰ぎ見ていたであろう50年代の西部劇(例えば、アンソニー・マンの諸作)に対するこだわりは強く感じられたし、彼の持ち味である善悪の曖昧さが、最も強く出た映画であることは確かだと思う。
結局、この映画は、人から何と言われようが、感傷に溺れることなく、自分の道を貫き通した頑固者の映画なのかと思ったら、何とラストのスーパーで、感傷たっぷりに「セルジオとドンに捧ぐ」と出たものだから、こちらも、あー頑固者も丸くなったのか、これが彼にとっての最後の西部劇になるのかもしれない、などとセンチな思いがこみ上げてきて、映画そのものへの思いとは違うところに心が飛んでしまい、ちょっと困った。
ところで、イーストウッドが脇役を珍重することは分かっていたが、この映画にも「生きていたのかアンソニー・ジェームズ!」が出てくるなど、ここにも彼の一貫性というか、頑固さが示されている。
『荒野のストレンジャー』アンソニー・ジェームズ
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『淀川長治の証言 20世紀映画のすべて』