田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『東京暮色』『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』(五反田)

2019-07-31 10:04:15 | 雄二旅日記
 
 
 
 小津安二郎作品の中でも一際暗さが目立つ『東京暮色』(57)。最近になって、この映画が実は『エデンの東』(55)を翻案したものだと知った。
 
 すると、主人公キャル(ジェームズ・ディーン)の役割は次女・明子(有馬稲子)、兄のアーロン(リチャード・ダバロス)は長女・孝子(原節子)、父アダム(レイモンド・マッセイ)は周吉(笠智衆)、母ケート(ジョー・バン・フリート)は喜久子(山田五十鈴)となる。
 
 『エデンの東』では、かつて男と出奔したケートは、今はいかがわしい酒場を経営していて、キャルがそこを訪ねていくところから始まるのだが、『東京暮色』でも、五反田で雀荘をやっている喜久子を明子が訪ねるシーンがある。
 
 ここは池上線のガード下にある目黒川沿いの新開地という飲み屋街。山田洋次が『東京暮色』を意識したかは謎だが、『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』(73)でも、浅丘ルリ子演じるリリーが折り合いの悪い母(利根はる恵)を訪ねる場所として登場する。
 
 五反田の産院で生まれ、池上線の荏原中延で育ち、戸越銀座近くの中学校に通い、学生時代は目黒川沿いの東洋現像所でアルバイトをし、結婚後は、しばらく大崎広小路に住んだ者としては、こうして映画の中に五反田周辺が映ると無性に懐かしい思いがする。今は目黒川沿いもすっかり整備され、東洋現像所はイマジカになり、新開地も姿を消したので、当時の風景は、もう映画や写真でしか見られないのだ。
 
『エデンの東』
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『インナースペース』

2019-07-30 12:25:50 | 映画いろいろ
『インナースペース』(87)(1987.12.12.渋谷パンテオン)
 
 
 
 人間を縮小する極秘の実験のため、探査艇に乗り込んだタック(デニス・クエイド)。実験は成功するが、ミクロ化した探査艇を吸い込んだ注射器をスパイが奪取する。だが逃走中に、通りすがりのジャック(マーティン・ショート)に注射針が刺さり、タックは探査艇ごと彼の体内に入り込んでしまう。
 
 人体の中にミクロ化された人間が入り込む映画といえば、どうしたって20数年前に作られた『ミクロの決死圏』(66)を思い出す。ただ、あちらが人体の美しさや神秘を描いていたのに比べると、こちらは、いかにも製作スピルバーグ+監督ジョー・ダンテらしく、半ばコミカルな娯楽作として仕上げている点が異なる。百面相的な芝居を披露するショートが傑作だ。
 
 とは言え、過去に2人が組んだ『トワイライトゾーン/超次元の体験』(83)『グレムリン』(84)の時の、相反する個性がぶつかり合う中から生まれる面白さは影を潜め、スピルバーグ色が一段と強くなった気がしたのが少々残念だった。
 
 これは、いよいよスピルバーグが、尊敬するというウォルト・ディズニー化してきたと言っても過言ではないだろう。事実、ウォルトが製作した映画は全てが“ディズニー印”であって、監督の名前なぞ浮かんではこない。その点、スピルバーグが主宰するアンブリンは、現代のディズニープロのようなものではないか。これを、スピルバーグの独裁と見るか人徳として見るかで、今後のアンブリンの映画に対する思いは変わってくると思われる。
 
 
『20世紀の映画監督名鑑』『文化の泉 世界の名監督』から
 
【今の一言】スピルバーグは、この後、94年にドリームワークスを設立し、製作者としてさらに活躍の場を広げた。ミクロ化された人間が異世界に入り込むという映像表現は、最近の『アントマン&ワスプ』(18)にも見られた。
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『ミクロの決死圏』

2019-07-30 11:32:45 | 映画いろいろ

『ミクロの決死圏』(66)(2010.8.15.TOHOシネマズ六本木ヒルズ「午前十時の映画祭」)

 

 脳に障害を負った科学者を治療するべく、科学者グループがミクロに縮小されて科学者の体に入る。1974年「水曜ロードショー」での初見以来、何度かテレビでは見ているが、この映画は一度映画館で見たかった。今から40年も前の映画だが、ミクロ化して人体に入ることはいまだにSFの世界だ。今なら全編がCG、へたをすれば3Dで作られるのだろうが、今となっては、この映画のチープな特撮が、かえって手作りの良さを感じさせてくれる。
 
 監督はリチャード・フライシャー。父親が有名なアニメーターのマックス・フライシャーだからか、この映画は、どこかアニメっぽいところもある。シュールな体内のデザインはサルバトーレ・ダリが関係しているらしいが、実は手塚治虫の漫画からアイデアを頂いたという説もある。
 
 俳優も、スティーブン・ボイド、アーサー・ケネディ、ドナルド・プリーゼンス、エドモンド・オブライエンなどクセ者揃いで楽しい。こういうタイプの俳優たちも今はいないなあ。紅一点は当時のグラマー女優ラクエル・ウエルチ。ぴちぴちのボディースーツ、着替え、藻を取るために彼女に触りまくる男たちなどのシーンは、男性向けのサービスだったとも思われる。
 
 後に、この映画をコメディー化したような『インナースペース』(87)が作られたが、この映画の中に「インナースペース(抜け出せない泥沼)」がというセリフあったことに今回初めて気づいた。そうか、両作はそこでつながるのか。
 
 ところで、『トラ・トラ・トラ』(70)で監督を解任された黒澤明は、アメリカ側の監督のフライシャーのことを「ミクロ野郎」と呼んでいたという。これはちょっと悲しい話だ。
 
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『おとうと』2題

2019-07-29 18:30:28 | 映画いろいろ

『おとうと』(10)(2011.5.8.日曜洋画劇場)

 この映画で吉永小百合と笑福亭鶴瓶が演じた吟子と鉄郎という“賢姉愚弟”は、言わば、『男はつらいよ』シリーズの“愚兄賢妹”の寅とさくらの関係を逆にしたもの。舞台も、だんご屋から薬局、帝釈天参道から住宅街、京成金町線(柴又)から東急池上線(石川台)、江戸川から多摩川、一部東京から大阪へと変化しているものの、店の外を映して季節や出来事、人の心の変化を見せる手法は『男はつらいよ』シリーズと同じだ。

 そして、ある一家族を描きながら、そこに民営のホスピスの存在(脇役・横山あきおの存在が光る)など、社会問題を巧みに描き込むところも昔から変わらない。だが若いころは反発を覚えた、この山田洋次の“偉大なるワンパターン”が、自分が年を取るに連れて心地良いものとして映るようになってきた。

 この映画には姉弟のほかにも、姑嫁娘という3代の女性の姿が描かれる。特に3人が共にする、最初と最後の食事の場面でさりげなく月日や心情の変化を見せる演出が秀逸だ。ボケかかった加藤治子の姑が毛嫌いしていた鉄郎のことを、「何だかかわいそうになっちゃってね」と語るところがおかしくも悲しい。

 やっかいだけど切るに切れない家族という存在は年を取るほど重くなる。そして悲劇と喜劇は常に紙一重だということ。これも山田洋次がずっと変わらずに語ってきたことだ。

 鉄郎が大好きな『王将』は、実在の大阪の棋士・坂田三吉と女房の小春をモデルに描いた北条秀司原作の戯曲による。村田英雄が歌って大ヒットした『王将』(西条八十作詞、船村徹作曲)は後に出来た曲。

 親が言うには、「『王将』はお前が初めて覚えた歌で(うちにシングルレコードがあったのだ)、子どものくせに“吹けば飛ぶような将棋の駒に~”とか“愚痴も言わずに女房の小春~”などとよく歌っていた」らしい。全く嫌なガキだ。

 

『おとうと』(60)(2011.6.24.)

 川口浩演じる碧郎の「なんだか薄っすらと哀しいんだ」という名セリフが、この映画を貫く心情だろう。先日、この映画をモチーフにした山田洋次の『おとうと』(10)を見た時、ラストの腕をリボンで結ぶ姉弟の姿以外は、あまり共通点はないと感じたのだが、今回、こちらを見直してみると、姉の名前がげんと銀子、弟が碧郎と鉄郎となんとなく似ているし、最後に鍋焼きうどんを食べるところが同じだったことに気付いた。なにより、家族(姉弟)とはなんとやっかいなものかというテーマが、形こそ違え共通するものだった。

 監督・市川崑、脚色・水木洋子、撮影・宮川一夫、音楽・芥川也寸志という見事なスタッフワーク、不器用な父母を演じた森雅之と田中絹代の好演、そして大正時代を表現する銀残しの効果は素晴らしいが、独特のカメラワークを駆使する、いわゆる“崑タッチ”が少々鼻に付くところもあった。

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『ビッグ』の「ハート・アンド・ソウル」

2019-07-29 08:59:49 | 映画いろいろ

『ビッグ』(88)

  

 子供が大人に、あるいは別の自分に変身するという意味では、最近の『シャザム』『アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング』、ちょっと前の『スーパーマン リターンズ』(06)などに、この映画の影響や引用が見られる。

 で、それを象徴する曲が、トム・ハンクスとロバート・ロッギアが足踏みピアノで弾く「ハート・アンド・ソウル」だ。エンディングロールでは、ハワード・ショアが作曲したテーマ曲に続いて、もう一度この曲がフルで聴ける。
 
 
 作曲したのはホーギー・カーマイケルで、かの「スターダスト」やレイ・チャールズの歌で有名な「我が心のジョージア」も彼の作曲だ。俳優として『脱出』(44)『我等の生涯の最良の年』(46)にも出演していた。
 
 
贈り物映画(『ビッグイシュー日本版』19号 2004.12.15.)
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『きのうのシネマは シネ・スポット三百六十五夜』(山田宏一)

2019-07-27 20:22:22 | ブックレビュー
 一度手放してしまった懐かしい本を見付けた。
 
 献辞されている“老ターザン氏”なる人からの数通の手紙(新聞紙上での連載中に、ある読者が筆者に向けて書いたもの)の面白さもあって一気に読んでしまった。こういう無名の映画ファンの声をもっと広げていけば、先の“プレストン・スタージェス馬鹿(某大学の先生様)”のような暴論に対する反発の声も高まると思う。

 立川談志が和田誠との対談でこんなことを語っていた。「~無名でこういうこと言うやついないかね。俺は一介の自転車屋のおやじだけど、こんなに映画観てるっていうやつ。~そういう人に聞きたいね。~書いたものに対して、よく分かってくれた、というのは1%で、99%は俺の映画論というのがあるはずだよ。それを読みたいね」と。

 以上は、初めてこの本を読んだ1994年7月時のメモ。25年後の今は映画評論家はほぼ死滅し、逆にインターネットがあるから、無名の人々の映画に対する声も広がったが、中には誹謗中傷やヒステリックな文章も多い。自由に語ることにはそれなりの責任や、相手に対する気遣いも必要だと思うのだが…。
 
 この本は、1979年から83年にかけてテレビで放送された映画について、筆者が書いた短評をまとめたもの。紹介されているのは、自分も同じ時にテレビで見た映画ばかりなので、読み直すと懐かしさが込み上げてきた。
 
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【ほぼ週刊映画コラム】『アルキメデスの大戦』

2019-07-27 17:26:08 | ほぼ週刊映画コラム

エンタメOVOに連載中の
『ほぼ週刊映画コラム』
今週は
数学的な見地から戦艦の建造や構造を描いた
『アルキメデスの大戦』

詳細はこちら↓
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/week-movie-c/1195787

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『めぐり逢い』(94)

2019-07-26 10:14:19 | 映画いろいろ
『めぐり逢い』(94)(1995.3.9.ワーナー試写室)

   

 仕事とは言え、この映画を見るのはあまり気が進まなかった。何だか、ウォーレン・ベイティとアネット・ベニングの結婚に至るまでの道のりを、映画を使って見せられるような気がしたからである。しかもその映画は、舞台はゴージャスで、リメークするには手頃な『めぐり逢い』(57)ときた。その厚かましさや目の付け所のうまさは、いかにもウォーレン・ベイティという感じがしたのだ。
 
 案の定、この映画には何の新しさも感じられなかった。しかも、同時期に同じように『めぐり逢い』から派生した傑作『めぐり逢えたら』(93)の存在があるだけに、ただ前作をなぞって、自分の都合のいいように作ったこの映画の弱さが余計に目に付く。
 
 ただし、スタッフにロバート・タウン(脚本)、コンラッド・ホール(撮影)、エンニオ・モリコーネ(音楽)という大物が名を連ね、キャサリン・ヘプバーンまで登場するに至っては、彼らを動かして、自身の結婚記念映画を撮ってしまうベイティの、ハリウッドにおける大物ぶりを垣間見た気がしたのもまた確かである。
 
【今の一言】結構辛辣なことを書いているが、アネット・ベニングは好きな女優だったので、ベイティに対するやっかみやうらやましさもあったのだろう。
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『めぐり逢い』

2019-07-26 09:49:14 | 1950年代小型パンフレット
『めぐり逢い』(57)

    

 豪華客船の中で偶然知り合った画家のニッキー(ケーリー・グラント)と歌手のテリー(デボラ・カー)は、互いに婚約者がある身でありながらも恋に落ちる。2人はエンパイアステート・ビルの展望台での再会を誓うが、再会の日、テリーはビルに向かう途中で事故に遭ってしまう…。
 
 レオ・マッケリー監督が自身の監督作である『邂逅(めぐりあい)』(39)をセルフリメークしたメロドラマの名作。グラント、カーという成熟した美男美女が、すれ違う男女という常套手段の中で“大人のラブロマンス”を繰り広げる。
 
名画投球術 No.14 いい女シリーズ4「正真正銘の“美女”が観たい」デボラ・カー
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/be594f2a790e1b4a23a8b68236557b94
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『ポセイドン・アドベンチャー2』

2019-07-25 11:08:58 | 映画いろいろ
『ポセイドン・アドベンチャー2』(79)(1983.3.24.水曜ロードショー)

  

 サルベージ業を営むマイク(マイケル・ケイン)は、転覆したポセイドン号を発見し、セレステ(サリー・フィールド)とウィルバー(カール・マルデン)と共に船内へ向かう。『ポセイドン・アドベンチャー』(72)の続編で、監督はアーウィン・アレン。
 
 この映画の原題は「BEYOND THE POSEIDON ADVENTURE」。解説の水野晴郎氏によると「『ポセイドン・アドベンチャー』の彼方にこんな人間ドラマがまだあったんです…」ということになるが、自分が見た限りでは「『ポセイドン・アドベンチャー』は遥か彼方に去ってしまった…」という感じがした。
 
 パート2が作られるというのは、それだけ前作が面白く、興行的にも成功したからで、製作側が夢よもう一度とばかりに、柳の下の二匹目のドジョウを狙って作るわけだが、あまり成功した例はなく、下手をすると前作のイメージをぶち壊してしまうものも少なくはない。
 
 この映画も、その慣例にもれずに失敗している。前作にあった見る者を引き込むような緊迫感がまるでなく、最初から最後まであまりにも軽過ぎるのだ。例えば、この映画は、前作の脱出口から船内に入っていくという逆の形を取っているわけだが、こうも簡単に船内を歩き回られると、前作のスコット牧師(ジーン・ハックマン)たちが脱出までに重ねてきたすさまじいまでの苦労がかすんで見えてしまう。
 
 また、今回はスコット牧師的な役割のマイクをケインが、彼と対立するロゴ刑事(アーネスト・ボーグナイン)的な陸軍出身のフランクをピーター・ボイルが演じているのだが、そのフランクが早々に死んでしまう。これでは人間同士のぶつかり合いから生まれる連帯感や共感を描いた前作を超えられるはずもない。唯一、マイクの相棒役のマルデンがいい味を出してはいたが…。
 
 そして、あの地獄図のようだった船内にまだたくさんの人々が生き残っていたり、船内に積載された秘密物資にまつわる銃撃戦があったりと、もうひっちゃかめっちゃか。人物描写にも重みがないから、ドラマの展開も早い段階で読めてしまう。よくもまあこんな凡作を作ったものだ、という気がした。
 
 最後にもう一言。前作のラストでスコット牧師が死んでしまうのは、アメリカ映画としては異端だったらしい。つまりアメリカ人は死ぬことよりも生きることを重視するから、自己犠牲の精神から主人公が死ぬような例は少ないようなのだ。前作はその通例を破った上で感動を呼んだのだが、この映画のケイン扮する主人公は…。
 
All About おすすめ映画『ポセイドン・アドベンチャー』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/0c2bb3546d412da1fbc1b0f1b4c8d4c9
 
 
 
 
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