『ほぼ週刊映画コラム』
今週は
緩さが心地よいロードムービー
『ロング・トレイル!』
詳細はこちら↓
http://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/week-movie-c/1060183
「その気持ち、分かるよ」とはならない
今から30年前の1980年代、フランスのミモザの島の沿岸の海で、一人の女性が謎の死を遂げた。女性の長男であるアントワーヌは、40歳になった今も、母を失った悲しみから抜け出せずにいた。彼は母の死の真相を突き止めようとするが、なぜか家族も知人も母の死については固く口を閉ざす。
海の中道「パサージュ・デス・ゴワ」が重要な役割を果たす家族ミステリー。ヒッチコックタッチを狙ったようなところもあるが、全体的にはいかにもフランス映画らしい、どろどろとした情念の世界が描かれる。
ただ、主人公をはじめ、登場人物の心理描写が総じて中途半端なので、残念ながら「その気持ち、分かるよ」とはならない。当たり前のことだが、国が違えばミステリーの描き方も異なるということか。
知り合いから薦められて読んでみた『ジェームス・ディーンの向こうに日本が視える』(明石散人)。
画家のエゴン・シーレが写った一枚の写真が、ジェームス・ディーン、エリア・カザン、ビリー・ワイルダー、マリリン・モンロー、そして写楽へとつながるという、まさしく妄想の書。『エデンの東』はシーレを媒介としたカザンとワイルダーによるゲームの産物なんだと…。
例えば、文中にも登場する義経=ジンギスカン説を推理小説化した高木彬光の『成吉思汗の秘密』のように、よくぞここまででっち上げた!というホラ話を聞くような面白さや、こちらの知的好奇心を刺激されるところも多少はあるのだが、筆者の分身たるY氏という語り部の横柄で断定的な、上から目線の語り口に腹が立ち、素直に、面白かった、まいりましたと言えないところがある。
持論の押し付けは妄想と化し、うんちくの傾け過ぎは嫌味以外の何ものでもないということだ。
実在のパレスチナ・ガザ地区出身の歌手、ムハンマド・アッサーフの半生を映画化した『歌声にのった少年』のハニ・アブ・アサド監督にインタビュー取材。
『パラダイス・ナウ』『オマールの壁』でアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたアサド監督は日本映画が大好きだった。
「一番好きな日本映画は溝口健二監督の『雨月物語』です。小津、黒澤、溝口から始まって、北野武、是枝裕和、園子温、三池崇史、滝田洋二郎…。こうした映画を通して、僕は日本を知ることができました」
「たとえ同じ国を100回訪れたとしても、自分がストレンジャーだという気持ちは拭えないかもしれませんが、その国の映画を見ることで、気持ちの上でつながることができれば、その国を訪れた時の感覚は全く違うと思います。ですから僕は、今こうして日本にいても強い親近感を持っています」
詳細は後ほど。
永六輔さんが亡くなった。
永さんとは一度だけお会いしたことがある。時は1997年。当時、編集を担当していた『20世紀映画のすべて 淀川長治の証言』(毎日新聞社)というムック本の中で、「20世紀映画が与えてくれたもの」と題して、淀川先生と永さんの対談が行われたのだ。永さんは普段から「淀川学校の卒業生」を自認しているから面白い対談になるのでは…と思っていた。
当日、最も下っ端だった自分は永さんのかばん持ちを命じられ、ホテルのロビーまで迎えに行った。すると永さんは「僕は人にかばんを持たせたりするのは嫌いだけど、あなたにも立場があるだろうから」と言ってかばんを渡してくれた。
エレベーターの中では「淀川さんの話は同じことの繰り返しだからねえ」とあまり乗り気ではない様子だったが、部屋に入り、対談の趣旨を説明すると、「分かりました。僕が時間通りにきちんとまとめるからまかせて」と一言。
そして、淀川先生が部屋に入って来るや、満面の笑みで迎え、いきなり先生が大好きなチャップリンのことから話し始めた。「今、五つの孫がチャップリンを喜んで見ている。チャップリンは永遠だと改めて思いました」と。
これで淀川先生は大喜び。以後も永さんのリードで話は和やかかつスムーズに進み、終ってみればなんとなく「20世紀映画が与えてくれたもの」というテーマに沿った対談になった。その時、間近で永さんを見ながら、さすがプロだなと感じさせられたものだった。今頃は再会して、二人でまた映画の話をしているのだろうか。
『天国の門 デジタル修復完全版』(13)(2013.10.6.新宿武蔵野館)
最後のチミノ
初見は今から30年以上も前、しかも短縮版だった。今回見直してみて、細部に関してはほとんど覚えていないことに気づき、初めて見るような錯覚に陥った。従って、今回加えられたのがどんなシーンだったのかもはっきりとは分からない。例えば、野球をするシーンは短縮版にもあったか? などと自問しながら見ることになった。
もし「見直してみて自分の中での評価は変わったか?」と問われたとしても、ストレートに「良かった」とは答えづらい。冗漫な印象も変わらなかったが、意外にも3時間36分が決して苦痛ではなかった。今回改めて気づいたことや疑問を記してみよう。
背景
東欧移民と牧畜業者の対立によるジョンソン郡戦争が描かれる。これは『シェーン』(53)の奥にあるものと同じだと後から知った。ワイオミングの美しい山河と、そこで繰り広げられる醜い争いという対照の妙が印象に残る。
人物キャラクター
『ディア・ハンター』(78)のニック同様、文盲だが純情なガンマン、ネイサンの優しさが前面に出ている。どちらも演じるはクリストファー・ウォーケン!
対照的に『ディア・ハンター』のマイケル(ロバート・デ・ニーロ)に比べると、主人公ジェームズ(クリス・クリストファーソン)のキャラクターが弱い。これは東部出身のエリートを揶揄するためだったのかとも思えるが、ここがこの映画の弱点だろう。
代わりにジェフ・ブリッジスが演じた“第三の男”ジョンの存在感が際立つ。ほかに、日和見なジョン・ハート、憎まれ役のサム・ウォーターストンも好演を見せる。
『ディア・ハンター』の影
監督のマイケル・チミノはイタリア系、撮影のビルモス・ジグモンドはハンガリー移民。どちらもアメリカではマイノリティ、エスニック(少数民族)に属する。そのためか、『ディア・ハンター』とこの映画には東欧移民への同情や強いこだわりが見られる。そして牧歌→極限状態→挽歌という物語形式も同じだ。
『ディア・ハンター』の主人公はスラブ系移民の子孫たち。前半はたっぷりと時間をかけてスティーブン(ジョン・サベージ)の結婚式を描き、一転、ベトナムの戦場という極限状態に移り、主人公をめぐる三角関係(マイケル、ニック、リンダ(メリル・ストリーブ))をはさんで、最後は残されたマイケルの孤独を映す。
『天国の門』に登場するのは東欧移民の第一世代。前半はハーバード大の卒業式をこれも時間をかけてたっぷりと描き、ワイオミングに舞台を移し、やがてジョンソン郡戦争へと突入する。主人公をめぐる三角関係(ジェームズ、ネイサン、エラ(イザベル・ユペール))をはさんで、最後は残されたジェームズの孤独を映す。
大きく違うのはジェームズが東欧移民ではないこと。つまり、彼はあくまでも傍観者なのだ。
音楽も『ディア・ハンター』がロシア民謡を効果的に使ったように、『天国の門』では「美しき青きドナウ」など東欧を意識した音楽が使われている。また『ディア・ハンター』の「ゴッド・ブレス・アメリカ」に当たる「リパブリック賛歌」も印象に残る。
評価
アメリカ開拓史上の恥部を真正面から描くという意味では、後にアカデミー賞を大量受賞した『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(90)の存在がある。では、『天国の門』はなぜあれほど激しいバッシングを受けたのか。両作の評価が雲泥の差ほども違うのはなぜなのか。そもそも両作は西部劇なのだろうか。といった疑問が浮かんできた。