田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

北の富士、玉の海、大鵬、旭國

2024-11-22 09:01:16 | スポーツ

 小学生の頃、まさに“巨人・大鵬・卵焼き”だった自分から見ると、大鵬を脅かす存在となった北の富士と玉の海は敵役だった。

 1970年5月場所、同時に横綱となった北の富士と玉乃島改め玉の海。彼らに対して横綱としての晩年を迎えた大鵬が最後の意地を見せ、その後しばらく三つ巴の優勝争いが展開した。そして大鵬引退後に訪れた北玉時代。千秋楽の横綱同士の熱戦の後、勝敗の別なく、互いの健闘を称え合うかのようにうなずき合う2人に好感を持った。

 だが71年秋場所後の玉の海の急死によって北玉時代はあっけなく終わった。もし玉の海が生きていたら、北の富士の横綱としての寿命は確実に延び、2人がしのぎを削るような相撲が見られたはず。そう思うと残念でならない。

 北の富士といえば、72年初場所、貴ノ花の捨て身の投げに対して、北の富士がついた右手がつき手かかばい手かで物言いがついた一番も忘れ難い。後に北の富士は「何度もビデオを見ているうちに、悔しいけれど彼(貴ノ花)が勝っていたのかなと思うようになった」と語っていた。

 引退後は、九重親方となり、千代の富士、北勝海という2横綱を育て、解説者としても活躍した。玉の海の死から53年。力士(横綱)としては長生きで天寿を全うしたのではないか。

 先日、「食いついたら離れない」ピラニア、あるいはさまざまな技を駆使することから相撲博士の異名を取った小兵の元大関・旭國も亡くなった。78年3月場所での魁傑との2度の水入りを含む合計10分を越える大相撲が印象に残る。この人も大島親方として横綱・旭富士や旭鷲山、旭天鵬といったモンゴル勢を育てた名伯楽でもあった。

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オリンピック記録映画

2024-08-14 07:27:05 | スポーツ

 パリオリンピック閉幕。1924年のパリ大会は『炎のランナー』(81)の舞台となった。今回は誰が記録映画を作るのだろうか。

『東京2020オリンピック SIDE:A』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/b2bac75b18633c0c86e00a100831c530

オリンピック記録映画 オリンピック関連映画
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/e40b5779b822179355c603c5666e0f5d


パリオリンピック開幕
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/43c5ccd9052d0b3798984ba719ead224

堀米雄斗の金メダルで思い出した『ロード・オブ・ドッグタウン』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/6e7f495a30aab9c429a35f5b0be86b41

「巴里の空の下」とトム・クルーズ
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/08c790c493a7e5951eab213543af3032

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パリオリンピック閉会式「巴里の空の下」とトム・クルーズ

2024-08-13 09:04:47 | スポーツ

 パリオリンピックの閉会式の冒頭で聴いたことのある歌が流れた。この歌は「巴里の空の下」というシャンソンで、ジュリエット・グレコやエディット・ピアフの歌唱が有名だが、元はパリの下町の庶民の暮らしをいくつかの物語を織り込むようにして描いたジュリアン・デュビビエ監督の『巴里の空の下セーヌは流れる=Sous le ciel de Paris』(51)の主題歌。

 ルネ・クレール監督の『巴里の屋根の下=Sous les toits de Paris』(30)もあるので紛らわしいが、どちらも歌が印象的なパリへの愛に満ちた名作だ。

 トム・クルーズの「ミッション:インポッシブル」のパロディのような登場の仕方は面白かった。ただ、開会式もそうだったが、事前撮りしたものと合成して流すところはちょっとしらけた。


『巴里の屋根の下』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/4df5bf76ed512a279dcc818d084df689

 

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パリオリンピック開幕

2024-07-28 13:32:37 | スポーツ

 開会式は大雨の中で行われ、まさに“雨に唄えば”状態で気の毒だったが、式典全体の構成には賛否あるところだと感じた。セリーヌ・ディオンの復活はあったが、レディ・ガガのパフォーマンスなどはひどいものだった。

 とはいえ、前回の東京大会は論外としても、チャン・イーモウが演出の総監督を務めた北京大会(08)も、ダニー・ボイルが芸術監督を担当したロンドン大会(12)の開会式の式典にも賛否があった。

 価値観が多様化した今となっては、もはや万人が認める式典など出来ないのも確かだ。そんな中、「イマジン」が開会式のレギュラー演目になったと聞いて、違和感を覚えた。

オリンピック記録映画 オリンピック関連映画
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/e40b5779b822179355c603c5666e0f5d

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「さあ笠谷、金メダルへのジャンプ。飛んだ、決まった、見事なジャンプ!」

2024-04-26 08:44:22 | スポーツ

 小林陵侑がアイスランドのアークレイリに造られた特設ジャンプ台で291mの“世界新記録”を樹立したというニュースの横に、札幌冬季五輪のスキージャンプ70メートル級(現ノーマルヒル)で優勝し、日本初の冬季五輪金メダリストとなった笠谷幸生が亡くなった記事が載っていた。

 そういえば、札幌で「日の丸飛行隊」と呼ばれた笠谷、金野昭次、青地清二がメダルを独占してからちょうど50年目の同じ日に、北京オリンピックのノーマルヒルで、小林が金メダルを獲得した。巡り合わせというのは本当にあるのだなあと感じる。

 その笠谷は、紛れもなく子どもの頃のヒーローの一人だった。


『札幌オリンピック』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/556abd79bc6f6b0cc4aae4f4044ec117

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曙逝く

2024-04-12 21:51:20 | スポーツ

1993.1.

 曙がついに“公称外国人初の横綱”に昇進する。とかく仕来りや伝統という言葉に捉われ、閉鎖的な角界の厚い壁をぶち破ってくれた。痛快である。

 ただ、彼の偉業は高見山、小錦という2人のハワイ出身の先達の存在を抜きにしては語れない。高見山こそは外国人力士のパイオニアであり、メジャーリーグに例えるなら、黒人初のメジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンに匹敵する存在なのだ。

 そして、ロビンソン同様、さまざまな差別や偏見、加えて文化や言葉の違いとも戦いながら実績を残し、後に続く者たちの道標ともなったのだ。

 それに続いた小錦は、高見山が成し得なかった大関昇進を果たし、一時実力は横綱に近づきながらも、差別と偏見に遭って阻まれた。だが、その際の諸々が、今回の曙の昇進をすんなりと決める布石になったことも、皮肉ではあるが事実である。その点、高見山がロビンソンなら、小錦はその可能性をさらに広げたウィリー・メイズか。

 そして、2人が切り開いた道の上を歩きながら、自力で最高位を勝ち取った曙はハンク・アーロンになれるか。輪湖時代以来、久しぶりに両雄が並び立つ曙貴時代の到来を祈る。

【今の一言】曙の横綱昇進を祝って当時書いたもの。彼は強さともろさを併せ持っていたが、そこがまた魅力的だったとも言える。曙、武蔵丸のハワイ勢と若貴兄弟との名勝負は見応えがあった。相撲協会に残っていたらいい親方になったと思うが、結局協会は彼を遇せなかった。それは今の白鵬の騒動にも通じるものがある。格闘家転向後は哀れで、かわいそうに見えて仕方がなかった。


1993.11

 九州場所での曙対小錦戦は見ていてつらかった。もはや小錦は限界であろう。聞けば彼はすでに年寄株を持っているらしい。だからいつ引退してもいいはずなのだ。年寄株が持てずに取り続けている霧島も悲惨だが、小錦についてはもっと重要な問題が含まれている。

 例の、日本国籍を持たぬ者は年寄になれないというあからさまな差別である。もともとの国籍を捨てるということがどれほどつらいものであるかは、高見山の時に分かったことではないか。いずれは曙や武蔵丸にもこ問題と向き合わなければならなくなる時がやって来るのだ。

 今や、彼らが相撲界を支えているのは紛れもない事実なのに、こうした差別は何物をも生まない。逆に彼らのやる気をそぐだけだ。横綱審議委員会に女性委員をなどとくだらないことを認めるのなら、こっちの方がよっぽど重要だと思うのだが。


1994.7.

 名古屋場所は、貴乃花の綱取り失敗で、瓢箪から駒式に武蔵丸の全勝優勝が達成された。果たして次の場所で武蔵丸の綱取りが成り、曙と共に東西外国人横綱が並び立つのだろうか。何やら若貴優遇の体質が見え隠れし、横審あたりからまた文句が出そうな、嫌な予感もするのだが…。

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突っ張りの寺尾

2023-12-18 23:16:25 | スポーツ

 錣山親方(元関脇・寺尾)が亡くなって、井筒三兄弟(鶴嶺山(元十両)、逆鉾(元関脇)、寺尾)は皆鬼籍に入ってしまった。自分とは同世代なだけに寂しい思いがする。

 小柄で細身の寺尾は、大型力士を相手に、回転の速い突っ張りを武器に活躍した。横綱千代の富士との真っ向勝負や、巨漢・小錦との対戦、そして当時18歳の貴花田(後の横綱貴乃花)との初対戦に敗れ、悔しさのあまりさがりを花道に叩きつけた姿も印象に残っている。

 昭和38年生まれの寺尾は、いわゆる「花のサンパチ組」と呼ばれた中の1人で、ほかには双羽黒(第60代横綱)、北勝海(第61代横綱)、小錦(大関)、琴ヶ梅(関脇)、孝乃富士(小結)がいたが、結局相撲協会に残ったのは、現理事長の八角(北勝海)と錣山(寺尾)だけだった。

 ところが、錣山は例の貴乃花問題に連座して失脚し、それから深酒をするようになったという。何やら、八角を除けば、あまり幸せではない一団という感じがする。そんな彼らにとって大きな壁となった千代の富士(九重親方)も今は亡い。


突っ張りの麒麟児
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/0c860c66911ea0cc47dad5042d128ff4

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大谷翔平ホームラン王を獲得

2023-10-02 11:11:53 | スポーツ

 ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平のホームラン王獲得が確定した。イチローの首位打者獲得にも驚かされたが、ホームラン王はまた別物。まさか日本人選手がメジャーリーグでホームラン王になる日が来ようとは…。しかも打率.304(151安打)、95打点、20盗塁をマークし、投手としては23試合登板して10勝5敗、防御率3.14。132回を投げて167奪三振をマークした。

 大谷に関しては、もうよほどのことがない限り驚きもしないが、それはこちらの感覚がまひしているからで、実際はとんでもないこと、考えられないことをやっているのだ。特に今年は春先のWBCから驚異的な活躍を見せてくれた。

 ただ、右肘の手術を受けたことが、今後にどう影響を与えるかが気掛かりなところ。またFAの行方も気になる。


世界中の“野球小僧”が集まったWBC
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/1cb6f6689699054dd875d9bbe9348e86


大谷翔平、規定打席&規定投球回をクリア
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/1cd1b55032ede183bdc83e67cf2e3c12


大谷が同じ試合でルースに並び、イチローを超す
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/e5c58ba067089226075aa7f443fe6fef


大谷翔平で思い出した『ナチュラル』と『フィールド・オブ・ドリームス』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/b0b6b618ef31f381b74268d648db0664


大谷翔平が日比谷駅構内に
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/5be6c10f0c4dacd215e47d45cdfdc49a


松井秀喜「とうとう日本人がメジャーリーグでも長距離打者に」その1
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/4412c1a1ad61173f1473a5db87839d4e


大谷翔平とベーブ・ルース、そして映画
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/1ba43b752319e46cb2dc1588df7e0de4

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古沢憲司とテリー・ファンク

2023-08-27 13:03:00 | スポーツ

 ちょっと体を後ろにひねってから、スリークォーター気味に投げ込むフォームが印象的だった古沢憲司。阪神、西武、広島と渡り歩いたが、やはり阪神時代が最も印象に残っている。引退後は、広島との縁で、ドミニカのカープアカデミーで長くコーチを務めた。『がんばれ!! タブチくん!!』で、タブチくんに振り回されるフルサワとして描かれていたのも懐かしい。

1995年の巨人阪神OB戦 ホームランを打った王もすごいが、テンポよく速球を投げる古沢もすごい。
https://www.youtube.com/watch?v=upp9PLQ03_I

『がんばれ!! タブチくん!!』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/dfdd15befc590396f4c6a8809cd5caf5


 兄のドリー・ファンク・ジュニアと共に、ザ・ファンクスとしてタッグを組み、テキサス・ブロンコと称されたテリー・ファンク。

 1977年12月15日に蔵前国技館で行われ、24日に放送された世界オープンタッグ選手権での、史上最凶悪コンビと呼ばれたアブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シークとの一戦が圧巻。

 この一戦は、レフリーのジョー樋口、中継の倉持隆夫アナと解説の山田隆の存在も加えて、エンターテインメントとしてのプロレスの極致ともいえるものとなった。
https://www.youtube.com/watch?v=-39f8q4zHzs

 テリーは、『パラダイス・アレイ』(78)『オーバー・ザ・トップ』(87)と、シルベスター・スタローンの映画に出演したこともある。『キン肉マン』のテリーマンのモデルもテリーだ。また、五反田のステーキハウス「リベラ」には、兄と共に、テリーの写真も飾られていた。

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ペレのこと

2022-12-30 22:53:55 | スポーツ

 亡くなったペレは、ジョン・ヒューストンが監督し、シルベスター・スタローンが主演した『勝利への脱出』(80)に出演し、サッカーのテクニカルアドバイザーも務めた。

『勝利への脱出』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/07d5ea83601037d8149e0bf68f0e4485


 ペレといえば、ひょんなことから、サッカー好きの職場の先輩に誘われて見に行った「釜本邦茂引退試合」(1984.8.25.国立競技場)で、ゲストとして出場した姿を見たことがあった。

 その時、先輩が「ペレの本名は、エドソン・アランテス・ド・ナシメントっていうんだけど、誰もそうは呼ばない。ペレはあくまでペレ。それが彼のすごさを物語っている」と教えてくれたが、サッカーに疎い自分には、あまりピンとこなかったことを覚えている。

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