『ほぼ週刊映画コラム』
今週は
伝説の男がいまよみがえる
『ジェームス・ブラウン~最高の魂(ソウル)を持つ男~』
今週の名セリフは↓
「俺の音楽はドラムだ!全ての楽器をドラムだと思え」
byジェームス・ブラウン(チャドウィック・ボーズマン)
JBがバンドのメンバーに自分の音楽の真髄を説く
詳細はこちら↓
http://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/week-movie-c/1000322
これは作為なのか衰えなのか
北野武監督作。元やくざの老人たちと若手詐欺集団との戦いをコミカルに描く。武お得意の老人をいじる小ネタを散りばめているが、例えば、スティーブ・マックィーンに憧れ、ピストル魔となったマック(品川徹)、ところが、今は手が震えて…というような、「こんな奴がいてさ。おかしいだろ」という与太話をつなげるだけで満足しているように見えた。漫才やテレビのトークならそれでもいいが、映画でこれをやられるとつらい。
俳優たちも徹底的にいじられる中尾彬、副将役の近藤正臣は健闘を見せるが、全体的にはテンポが悪くて締まりがなく、ギャグも空回りしてあまり笑えない。これは老人たちが主役だから作為的にそう描いたのか、それとも武の衰えや適当さを反映したものなのか。加えて、武はなぜここまでやくざの世界にこだわり続けるのだろうかという疑問も拭えない。
老人たちによる集団反抗劇としては、元気な老人たちが、右傾化する社会を捨てて独立国家を作ってしまうという、岡本喜八の寓話『近頃なぜかチャールストン』(81)の面白さを思い出すことができる。もとより、岡本喜八と武とでは喜劇映画に対する思いや映画の作り方が全く違うのだろうが。
「嘘も方便」は万国共通
1983年のスーダン内戦で親と家を失い、難民キャンプで育った若者たち。“ロストボーイ”と呼ばれた彼らのアメリカ移住の実話を基に映画化。
前半は、子どもたちが何と1600キロも先の難民キャンプに徒歩でたどり着き、そこで成長していく様子をハードな描写で見せる。年端もいかない子どもたちが戦争の犠牲になる姿を見るのはとてもつらいが、作り手たちは、敢えてそれを見せることで後半との落差を強調したかったのだろう。
一転、中盤から後半は、アメリカ移住後の彼らと職業紹介所の職員キャリー(リース・ウィザースプーン)の交流を、カルチャーギャップなどを交えながら、時にコミカルにほのぼのとしたタッチで描いていく。だが同時に、受け入れ側の適当さ、差別、異国で働くことの難しさ、誤解による仲違い…なども描き込み、アメリカとて決して“天国”ではないのだ、という現実の厳しさも知らしめる。
そしてタイトルの“グッド・ライ(善き嘘)”の意味が明かされるラスト(「嘘も方便」は万国共通)、という三段構えになっている。
アメリカ移住後は、類型的できれいごととして描いたきらいはあるが、作り手たちがロストボーイにそそぐ素直な愛情や優しい視点には好感が持てる。何より、こうした事実があった、そして今も続いているということを、映画を通じて知らせたことに意義があるのではないかと感じた。
移民たちがアメリカについて学ぶ場で、マーク・トゥエインの『ハックルベリー・フィンの冒険』が、“善き嘘”を象徴する物語として教材になっているところが興味深かった。