小説家となった満男(吉岡秀隆)は、妻を亡くし、娘のユリ(桜田ひより)と二人暮らし。妻の法要で実家を訪れた彼は、母のさくら(倍賞千恵子)や父の博(前田吟)と共に、伯父の寅次郎(渥美清)に思いをはせる。そんな中、満男は初恋の人・泉(後藤久美子)と再会する。
第1作(69)から50年目に作られたシリーズ第50作。満男を主役とした、かつてのシリーズの後半の流れを受け継ぐ形で、彼の視点による寅次郎の思い出(過去の映像)と、現在のくるまや周辺の人々の生活風景を交差させる。
山田洋次監督いわく「寅さんの思い出をスクリーンの中で展開していく映画」。もっとも、寅=渥美清と再会したかったのは、観客よりも山田監督自身だったのではないか、と思わされる。
山田監督が自ら選んだ過去の名場面集的な趣があり、あまりの懐かしさに、見ながら思わず涙があふれる瞬間も多々あるが、ある意味、予想通りの展開で、正直なところ新味はない。その口跡の素晴らしさなど、改めて渥美清のすごさを思い知らされるだけ、という気もする。
娘のユリが最後に満男に言う「お父さんはどこか遠くへ行っていたみたい。お帰り」というセリフは、デビッド・リーンの『逢びき』(45)で、夫が妻に言う最後のセリフとも通じるものがあるし、ラストの歴代マドンナたちの総登場シーンは『ニュー・シネマ・パラダイス』(89)のラストシーンをほうふつとさせるなど、過去の映画からの影響も見られる。
ところで、オープニングで桑田佳祐が頑張って主題歌を歌っていたが、エンドロールで本物の渥美清版(聴きながら、あまりによくて泣けてきた)を流しては駄目だ。
これでは、チャップリンの伝記映画『チャーリー』(92)の最後で本物のチャップリンの映像を流して、それまでのロバート・ダウニーJrの熱演を台無しにしたケースと同じだ。本物には決してかなわないのだから…。