2007年に放送されたNHKドキュメンタリー「立川談志 71歳の反逆児」を再見。老いや病と闘いながら死を意識する談志。自分がその年により近づいたせいか、以前見たときよりも身につまされた。この人の不幸は、優れた表現者でありながら、同時に優れた評論家、分析家でもあったところだろう。
2005.10.25.
ブックオフで見つけた『談志ひとり会 文句と御託』(講談社刊)を読み始める。独演会のパンフレットに書かれた“文句と御託”を集めたもの。まとめて読むと時代の流れが感じられてなかなか面白い。その「談志ひとり会」には、落語好きの友人たちと連れ立って3度顔を出した。
1988.11. 9.国立劇場.第19回.「天災」「富久」
先日(10.23.)の紀伊國屋ホールに続いてまたも落語である。周りに落語好きがいると、こっちも嫌いじゃないから、つい「じゃあご一緒に」ということになる。先日は名人会ということで、いろいろなタイプの噺家に触れることができたのだが、今回は独演会、しかも相手はくせ者の談志ということで、正直言って、あまり気乗りがしなかった。
ところが、噺を聴いているうちに、普段は偏屈で理屈っぽい印象のある談志から、客に対する旺盛なサービス精神や照れ性故の突っ張り、といった別の一面を見せられた。そして、落語を愛するあまりにはまってしまった奈落から、必死に抜け出す道を模索している姿を垣間見た気がして、人柄や芸風は、うわべだけでは分からないと、改めて思わされた次第。
1991. 5.13.国立劇場.第49回.「金玉医者」「源平盛衰記」
一昨年以来の「談志ひとり会」。今回は、テレビでの問題発言の直後だけに、聞き苦しいところもあったが、良く言えば、こういう反骨精神や突っ張りが、この人を支えているのだろう。ただ、ポーズとして、随分無理をしているところもあるのだろうと感じさせられるところもあった。
ところで、談志の『源平盛衰記』を聴きながら、林家三平の『源平盛衰記』を思い出した。今となってはあれがすごい芸だったと分かるのだが、当時はそれが分からなかった。三平の落語もこんなふうに聴いてみたかったと思う。
1994.12.16.第92回.朝日ホール.『風呂敷』『三軒長屋』
「暮れだから、きっと『芝浜』演るよ」と、談志贔屓の友人からの誘いを受けて、3度目の「談志ひとり会」へ。今回は過去2回の国立演芸場ではなく、キャパが倍のマリオンの朝日ホールということで、その分力が入るか、と大いに期待していた。
ところが、いかにも談志らしく、「『芝浜』やんないよ」とはぐらかして演った「風呂敷」「三軒長屋」は、どちらもあまり上出来とは言えないもので、それは本人が一番分かっているはずで、改めて、これだから生はつらいよなあと思わされた。
それとともに、こういうハナから出し物が決まっていない、流れに任せたものに出くわすと、自分の落語に関する知識のなさが露呈されてじれったくなる。噺は知っていても演題がすぐにでてこないのである。
だから、前座の志らくが演った「お若伊之助」などは、今になってあんちょこで調べてやっと合点がいく始末。これだから、落語についてとやかく言う資格は自分にはないのかもしれないと思う。桂文楽じゃないが、「勉強し直してまいります」というところだ。
【今の一言】素の談志師匠とは、一度だけ五反田の眼鏡屋で顔を合わせたことがあった。