『ニュー・シネマ・パラダイス』(88)(1989.12.30.シネスイッチ銀座)
久しぶりに映画館のはしごをした。そして、これまた実に久しぶりに、涙を流しながら映画を見た。恐らく、この映画の前に見た『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』に対する評価が、思いの外つらいものになってしまったのは、あまりにもこの映画が素晴らしかったせいなのかもしれない。
過去にも、映画そのものに愛を捧げた映画はあったが、主人公が映写技師というのは珍しいのではないか。まず、そんな裏方にスポットを当てた温かさに胸打たれる。加えて、そのアルフレードを演じたフィリップ・ノワレが実にいい。
無学の男が映画から人生を学び、それに裏切られるかのように、フィルムの燃焼が原因の火事で失明しながら、やがて自分の言葉を見つけ出し、時には父親のように、あるいは友のように接してきた一人の若者を旅立たせる。
対するトト(この名前は劇中にも登場するイタリアの名喜劇役者にあやかっているらしい)という少年(子役のサルバトーレ・カシオが憎らしいほどうまい!)から青年、そして中年になった現在の姿が映るが、その背景にはイタリア映画の変遷が現れる。
2人を結び付ける映画やフィルムの断片、映画が娯楽の王様だった至福の時、映画館に集まった人々の熱気、それらを彩るエンニオ・モリコーネの音楽、もうこれだけ揃えば映画好きにはたまらないごちそうだ。
この映画の圧巻は、アルフレードがトトに贈った、検閲でカットされたキスシーンをつなぎ合わせた“世界に1本しかない映画”が映るラストシーン。それを見つめる中年のトト(ジャック・ペラン)の表情やしぐさもいい。そこに流れるモリコーネの音楽…。いゃあ、まいりました。
何でも、監督のジュゼッペ・トルナトーレはまだ33歳とか。自分とそう年の違わない男が、こんな映画を撮ってしまったことに驚かされた。
今、ビデオの全盛期に、あえて映画館への愛を貫こうとしたこの映画が、80年代に映画館で見た最後の映画となったのは何やら象徴的だと思った。
『ニュー・シネマ・パラダイス完全版』(1993.8.)
またも、最近大流行の、公開時とは別バージョンの登場だが、今回はこれがもともとのもので、最初に我々が見たのは海外向けの短縮版だったそうである。
結果は、短縮版の方がよかった。確かに、時間の長さによってドラマの濃さは増しているのだが、この映画の場合はそれが悪い方に作用していた気がする。
つまり、中年になったトトがシチリー島に戻ってからのエピソードがそれに当たるのだが、初恋の相手(ブリジット・フォッセー)と再会してじたばたするトトの姿が映され、しかも、かつての2人の別れにはアルフレード(フィリップ・ノワレ)が介入していたという、新事実まで飛び出してくる。
となると、ラストで映される“あのフィルム”の存在が、また違った意味になってしまうのだ。恐らく、最初からこの“完全版”を見ていれば、こんな思いは浮かばなかったと思う。改めて、映画の編集の重要さを知らされた思いがした。
『20世紀の映画』『文化の泉』から。
「違いのわかる映画館」シネスイッチ銀座
https://www.enjoytokyo.jp/feature/season/cinema/vol12.html