黄門の釣りバカ・旅バカ

人生、何でもバカになれる時が一番幸せである・・・と思う

同窓会

2011-06-02 | ブログ


中学校卒業時の同窓会が今回初めて駅前のホテルで開催された。

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皆さんと会うのは55年振りである。
全員、古希を迎えられています。

元中学校区に住んでおられる役員さんや、クラス毎の幹事さん達が総出で名簿の作成に尽力された結果です。


各クラス5名前後は既にお亡くなりになったり、また消息不明の方がおられたりして完璧ではないが、それなりの名簿が出来上がりました。


当時は13学級があり、まぁまぁの生徒であったと思います。
総勢150名余の出席でした。


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受付で会費を支払って、クラス毎の円卓に向かうと、正面に座っていた3名の女性陣から・・・

「黄門さん、私たちを知ってる~♪」と甘い声。
一人は当時好意を寄せていた女性?なので、なんとなく思い出すことが出来たが、あとの二人は??です。

「黄門さん、私やがな~、家に遊びに来てたんやんか~」
と、言われても誰か思い出せない(汗)


当日出席者の名簿と照らし合わせて、やっとこさあの人やったかなぁ~と・・・
当時はもっとふっくらと・・・もう一人は八重歯があったような・・・なかったような・・・
なんとか思い出すことが出来て、ヤレヤレと思いきや。



後ろを振り向くと6名の女性陣から・・・

「黄門さん、私たち誰だか?わ・か・る・・・」と同じ質問。


当日、男性5名、女性9名の出席で圧倒的に女性が多いです。

頭の回路がパンクしてピーマン状態(汗)(^_^;)


皆さん方の昔の面影は少し思い浮かぶが・・・それ以上に容姿が変わられているので、どうしょうもない(爆)


何故直ぐに、こちらが分かったのか問うと。
女性陣から


「当時の黄門さんは丸刈りで、目が大きくパッチリで色が黒くて、野球部で活動していたから・・・」


「そして、皆に優しく、思いやりがあつたから直ぐ分った・・・」
と。
成程、なるほど・・・納得、納得(爆)


男性陣は、お頭が薄くなったり、おつむの毛が無かったりしましたが、すぐに思い出すことが出来ました。


司会者から

「本日は、55年振りの再会です、美少年・美少女の昔を思い浮かべながらタイムスリップして、ひと時を楽しんでください」


「そして皆さん方は、今では立派なお爺さん、お婆さんになられました」との挨拶。


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約3時間、昔話に花が咲く。

各クラスの席を回り、悪ガキも、そうでない者も、釣りの仲間達や近くで住んでいた皆と楽しい時間を共有できて懐かしかった時間を過ごす。


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同窓会が終わった後は、クラス別の二次会です。
この頃になると、皆さん方のお顔と名前が合致するようになり、ヤレヤレ。

 
2年後の再会を約束しましたが、本日出席された方々、皆さんお元気でおられると良いのですが(苦笑)


おまけの思い出

学校の周囲には、たくさんの酒蔵があり、グランドの北側には疎水が流れていました。

酒蔵には、荷台一杯のドンゴロス満タンに輪切りにした、そして乾燥したサツマイモをが引いて運んでいました。


何故米でなく、サツマイモだったのか分かりません。

その荷台に落ちた、またドンゴロスからはみ出たサツマイモを後ろからそっと荷台に乗って失敬していました(笑)

美味しかったですね(苦笑)

また当時は、自宅から疎水傍を歩いて通学です。


毎月1日と15日の午前中は、上流の閘門が閉まり疎水が減水します。
今はコンクリートの川ですが、当時は川底に大石がたくさんあり淵もありました。

秋口になると落ちのウナギが獲れます。
条件が良かったら学校をサボリ、ウナギをヤスで突いて獲ります。


そして近くの料理店に売るのです。
その頃桂川ではウナギ、宇治川では投げ釣りでウナギとスッポンを釣っていました。


春は桂川でナマズ、冬は宇治川の河川敷の溜りで台湾ドショウ・・・と話は尽きません。

山にも、柿や椋の実や・・・たくさんありました。


しかし昔たくさん居た釣り仲間や悪ガキ達は、年か?体力や気力が無くなったのか?今では誰も釣りには行かず、只の爺さんになってしまい少し寂しかったですね(苦笑)