橋本市長の発言がまだ尾を引いている。人は人を赦す事が出来ないのであろうか。いやそれ以前に問題が複雑化してきて真相がよく分からなくなってきている気がします。もし、何かの目的の為に意図的に事が進められているのだとしたら、その意図とはどのようなものだろうか。もしそれが戦闘のない戦争だとしたら大変恐ろしい。
しかし、浅く考えてみると問題の落とし所はこのようなものではないだろうか。
「誰の責任なのか。誰から謝罪と賠償をしてもらうか。」
問題は過去にある。したかって歴史を遡って責任を追及するならば、戦争がポイントになる。戦争が無ければ兵士を慰安する意味はないのだから。
だから「誰の責任なのか」を問うのであれば、「誰が戦争を始めたか」が同時に問わなければならないのだと思う。
しかし、日本は一部を除いて鎖国をしていたのだから、そのまま鎖国を維持できていれば戦争に踏み切らずにいられたのかもしれない。
そこから考えると、どうして戦争をしなければならなくなったのかが問われなければなるまい。
真実を知ることが必要なのならば、悲劇の始まりが明白にならねば責任の追及はできないと思う。
勝者が正義で敗者が悪だという論理がまかり通るならば、議論は必要ないという人も出てくるだろう。
度を過ぎた理不尽な責任追及が続けば、実力行使あるのみという判断をする人も出てくるだろう。そのような論調が多くの人に支持されれば、狂気の時代の幕開けである。
それだけは何としても回避してほしいけれども、時代とは破壊と再構築が繰り返されるものであるから、その不遇を黙って受け入れてゆくしかないのだと思う。
そしてまた、お金の力によって悲劇が繰り返されるのではないでしょうか。もし繰り返されるのだとしたら神は何故我々を創造したもうたのだろうかと考えてしまうのです。
しかし、浅く考えてみると問題の落とし所はこのようなものではないだろうか。
「誰の責任なのか。誰から謝罪と賠償をしてもらうか。」
問題は過去にある。したかって歴史を遡って責任を追及するならば、戦争がポイントになる。戦争が無ければ兵士を慰安する意味はないのだから。
だから「誰の責任なのか」を問うのであれば、「誰が戦争を始めたか」が同時に問わなければならないのだと思う。
しかし、日本は一部を除いて鎖国をしていたのだから、そのまま鎖国を維持できていれば戦争に踏み切らずにいられたのかもしれない。
そこから考えると、どうして戦争をしなければならなくなったのかが問われなければなるまい。
真実を知ることが必要なのならば、悲劇の始まりが明白にならねば責任の追及はできないと思う。
勝者が正義で敗者が悪だという論理がまかり通るならば、議論は必要ないという人も出てくるだろう。
度を過ぎた理不尽な責任追及が続けば、実力行使あるのみという判断をする人も出てくるだろう。そのような論調が多くの人に支持されれば、狂気の時代の幕開けである。
それだけは何としても回避してほしいけれども、時代とは破壊と再構築が繰り返されるものであるから、その不遇を黙って受け入れてゆくしかないのだと思う。
そしてまた、お金の力によって悲劇が繰り返されるのではないでしょうか。もし繰り返されるのだとしたら神は何故我々を創造したもうたのだろうかと考えてしまうのです。