硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

恋物語。3

2021-01-15 09:55:12 | 小説
やるべきことはやった。後悔はない。と、言えば嘘になる。これでフラれたら、止めとけばよかったと思うんじゃないかという自分もいるからだ。
もやもやした気持ちを断ち切るために、勉強しようとするけど、平川綾乃の笑顔が頭をよぎると、思考は止まってしまうし、何も手につかなくなってしまう。

こんな時は、雑誌を開き、誰もが可愛いと絶賛するグラビアアイドルの水着姿を見て気を散らせばと思うけれど、この切なさは解消されない。
顔を洗っても、歯を磨いても、ご飯を食べていても、通学途中の電車の中でも、テキストをめくっているときも、風呂に入っているときも、思い浮かぶのは平川綾乃の笑顔だ。

そう、なにかが足りない。平川綾乃との日々は、何物にも代えがたいものなのだ。
僕はそれに気づいてしまった。

あんなに煙たい存在だったのに、なんで、こんな事になってしまったのだろう。

「僕は馬鹿になってしまったのか」

と、呟いたところでどうなる。思いは募るばかりだ。

本当にフラれたらどうする? どうなる?  失恋に撃ち抜かれた心の穴は埋まるのか? 強がってみせた所で、どうなる? それならば、気持ちが伝わるまで、求め続けるか。そうだ、そうすれば、こころに穴は開かないし、諦めなければうまくいくかもしれない。
告白してから、そんな思いが何度も頭の中で巡っている。僕が・・・・・・。

「おいっ。川島。大丈夫か? 」

我に返る。さっきまで、携帯をいじっていた、通称『ホトケ』と呼ばれている松嶋弘人が不意に呼びかけた。

「ああっ。ごめん、考え事してた。」

「かなり深刻そうな顔してたから、具合でも悪いのかと思ったぞ。」

「そっ、そうか?   いや・・・。進路どうしようかと思ってさ。」

「おー。それは迷いが生じるな。その苦悩する顔から察するに、色恋沙汰ではと思った・・・。」

真面目な顔で、『ホトケ』が言う。相変らず鋭い洞察力だ。松嶋弘人は、お寺の次男で、お寺は継がないが、環境がそうさせているのか、仏教に精通している。目も細く、丸顔という風貌からか、はたまた、時々悟りきったような事を言うことからか、皆から『ホトケ』『ダイブツ』と、呼ばれるようになっていた。

「そっ、そんなふうにみえたか。」

「ああ。しかし、原因はなんにしろ、心が苦しいのなら相談にのるぞ。」

「大丈夫。進路のことだから。」

「そうか・・・・・・。だが、その苦悩を少しでも軽くしようと思うなら・・・・・。」

そう言うと、『ホトケ』は、細い目をさらに細め、電車から見える風景の一番遠い所を見つめた。すると、雲の切れ間から『ホトケ』の顔に日が差した。余りのタイミングの良さに笑いそうになったが、そこはこらえて『ホトケ』の言葉に耳を傾けた。

「恋にしろ、進路にしろ、よく分からない価値観というものには囚われないようにした方がいい。」

「・・・それはなぜ? 」

「人の心に実体がないように、価値観というものも実体がない。そして心と同様、常に変化する。今が正しいと思っても、時の移り変わりで、正しくなくなるってこともある。その時、己の眼が曇っていては猶更だ。それをだな、イチエイマナコニアレバクウゲライツイスというのだよ。」

僕らには分からない言葉を繰り出す『ホトケ』。これを面倒臭いと思ったり、煙たがったりする人もいるが、僕は『ホトケ』の言葉には、感覚的に、良いヒントがある気がしていた。

「おっ、有難い説法が始まりましたな。アリガタヤ、アリガタヤ。」

「茶化さず、よくお聞きなさい。路頭に迷う若者よ。」

「松島ぁ。若者って、同じ年じゃないか。」

「ほっほっほっ、話の腰を折らずに最後まで聞けよ。」

「ごめん。では、説法の続きをお願いします。」

「ふむ。まぁ、そこまで、かしこまって聞くものでもないが、ただ、物事は移り変わってゆくものだって事さ。俺の気持ちもお前の気持ちも、明日には変わっているかもしれない。明日には明日の俺たちがいる。それが真理だ。だから、深刻にならずに気楽に行けよ。やるべきことをやったら後は御仏にすべてを任せるという感じでさ。そうすれば、俺たちの未来は、きっと明るいはずだ。」

松嶋弘人の言葉にハッとした。確かにそうだ。目の前の選択は未来に繋がってるけど、目の前の事だけに拘ってては、僕の、僕たちの未来は大きく変わってしまう。
そうだ、今は受験勉強に集中しよう。大学に行けば、今より世界は広がる。
平川綾乃の事を諦めずに求め続ければ、僕は傷つかないかもしれないけれど彼女が僕の事を好きになってくれなければ、彼女が傷ついてしまう。『ホトケ』の言う所の「己の眼が曇る」とは、この事かもしれない。

フラれたっていいじゃないか。初志貫徹。心で泣いておこう。
どっちに転んでも、僕の未来は明るいはずだ。

「なあ、松島」

「なに? 」

「明るい未来を掴みに行こうぜ。」

「うわぁ、アオハルかよ。」

「柄にもない事言うなぁ。」

僕たちは、混みあっている電車の中で必死に笑いをこらえた。