硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

「シュタインズ・ゲート」 定言命法のアポリア

2013-05-08 21:19:20 | 日記
高校生の姪っ子が岡部倫太郎のことを「あんな男子(厨二病)は嫌だ。」と言い放った。
そんな理由でシュタインズ・ゲートを途中で観なくなったのだそう。

α世界線での彼は、後にレジスタンス「ワルキューレ」の創設者になるほどしっかりした人に変貌するのであるが、劇中では痛い男子でしかない。そこで、彼らの名誉を挽回すべく、その後彼らがどうなっていったのか新しい世界線で妄想してみました。(笑)

岡部倫太郎

2010年の事件後、ラボではタイムマシン製造からはすっぱりと手を引き、「未来ガジェット」な発明品を開発していた。しかし、翌年の3月11日。震災でラボの機材の半数以上に被害が及び、意気消沈する岡部だったが、テレビから流れてくる情報を観て愕然とする。
「この状況を救えるのはこの鳳凰院狂真しかいない。」と、わけのわからぬ宣言をし、大学を休学。ラボメンの橋田を無理やり誘い共に被災地へ向かい、気弱な肉体ながらもボランティアに従事する。そこで天災や原発事故の悲惨さを知り、彼の人生は大きく舵を切ることになった。ボランティア先で「プロメテウスの火計画」を発動。後に彼は「あれこそがシュタインズ・ゲートの選択であった。」と述べている。

東京電機大学を卒業後、京都の大学院へ進学し、エネルギー粒子工学科を専攻する。そのころには厨二病も比較的穏やかになるも、時頼湧いて出る空気を読まない言動に周りが引いてしまい友人やガールフレンドも皆無な研究生活を送っていた。牧瀬が来日する度に上京しラボメンたちと交流を図りリフレッシュしていたらしいが、京都では孤独と戦いつつ学問に没頭し続けた。そして卒業後、彼の最終目標であった研究者としてオメガ計画に携わってゆくことになり、それ以来牧瀬紅莉栖と公私を共にするようになる。

牧瀬紅莉栖

事件後、アメリカへ帰国しヴィクトル・コンドリア大学で脳科学の研究に戻るも翌年の震災で岡部らの安否が心配になり突如来日。ラボに向かうと彼らがボランティア活動に参加する準備を始めていたため、彼女も参加。被災地での出来事は脳科学者としての彼女を苦しめることになったが、岡部や橋田のサポートにより、投げ出すことなく従事し続けた。 しかし、岡部と同様に原発事故に疑問を持ち、帰国後、ボストン大学に編入しADSの研究に没頭するも、無理が祟ってか時頼体調を崩す。そんな時には、来日しラボメンたちとの交流を図ることによりリフレッシュしていたようである。大学を卒業後、スイスのパウルシェラー研究所へ研究者として勤務し、システムを日本に持ち込めるよう各方面に奔走する。システムの移行と共に日本に帰国し、岡部と公私を共にするようになる。

橋田至

震災時行動を共にした橋田は、彼らの行動をサポートできるようになろうと決意。
卒業後、「スーパーハカー」の腕を買われ、独立法人原子力安全基盤機構に入社。
プログラマーとして原子力に関わってゆく。普段は相変わらずエロゲーやメイド喫茶といったサブカルチャーにハマっているが、岡部や牧瀬との約束を果たす為に自身のポストやスキルを上げる努力を怠らず、また、勤務地が都内なので、椎名まゆりのサポートを買って出るなどリア充な男に変わっていった。

あの出来事を境に、三人は別々の道を歩み始めるが、岡部の計画の下に、本当に「とある機関と戦う」こととなる。この時「未来ガジェット研究所」が復活するのであった。

椎名まゆり

私立花葱大学付属学院卒業後、「メイクイーン・ニャン²」でアルバイトを続けるも、趣味であったコスプレが対価を得るほど本格的なものとなったため、本人はとても気に入っていたが「メイクイーン~」を辞めることになる。2013年に岡部の引っ越しを機に未来ガシェット研究所は閉鎖となったが、コスプレの衣装を制作するラボ「フェイリス」として使用し経営を始める。橋田至にはホームページの立ち上げ等、協力者として携わってもらい、その流れで交際を始める。2015年には結婚し2017年には第一子、女児を儲け(伏線が正しければ、その子が阿万音鈴羽となるはずである。)ラボの経営を後輩に任し、自身は育児に専念。

秋葉留未穂

私立金糸雀学園を卒業後、「メイクイーン・ニャン²」の経営者、従業員として活躍しつつ、椎名まゆりの事業にも出資する。岡部への淡い想いもあってか、年に数回のラボメンの円卓会議には必ず参加していたが、牧瀬の気持ちが岡部にあることに気づき、次第に円卓会議から遠ざかっていった。元気のない秋葉をみて、椎名まゆりが心配し連絡するも頑なに断り続けたが、コスラボ「フェイリス」にはまめに訪れラボメンの様子を聞いては安心していた。椎名まゆりの結婚後、彼女も「雷ネットアクセスバトラーズ」を通して知り合った心優しき御曹司(年上)と結婚している。その後、政治的にその彼と共に「未来ガジェット研究所」に関わってゆくこととなる。

漆原るか

私立花葱大学付属高校を卒業後、神主の資格を得るため東京を離れ皇學館大學へ入学。
可愛らしさは変わらず、男性から言い寄られることもしばしばあったが、環境がかわったこともあってか自身が男性であることを次第に受け入れてゆく。大学時代に知り合った素朴な女性と交際を始め、柳林神社の神主として戻ってくると同時に結婚。ラボメンの円卓会議には参加していたので、結婚することを報告するとメンバー全員が驚きと共に祝福した。しかし、岡部だけは複雑な思いをしていたようである。
その後、妻が女児出産し、穏やかに秋葉から神主としてラボメンの幸せを祈っている。

これで名誉を回復できたであろうか(笑)

僕の甥と姪は。

2013-05-05 17:46:45 | 日記
僕には甥と姪がいる。出産してから、お盆と正月、祝日の連休等、姉は必ず彼らと共に帰郷してくるから、ある程度の時間をおいて彼らの成長を観続ける事が出来た。移動方法が2足歩行へ変わった時等とても感動したし、画を描いたり、ヒーローごっこをしたり、言葉を少しずつ覚えてきて、面白い事を言い合えるようになったりと、これまで大変面白い想いをさせてもらっていた。

また、少年たちの流行や嗜好性などを彼らを通して知ることが出来て、とても勉強なった。

実際、彼らからもたらされた情報は、実生活でも役に立ちとても感謝している。

そんな彼らも、お兄ちゃんは来年は大学へ行くと云い、妹はあまり楽しくない高校生活を始めた。

大変、多感な時期である。おいちゃんとしては少し心配である。

しかし、お兄ちゃんは今年の超ニコ会議では、大変有名人になっていたという。帰郷するたびにフォロアーが増えてゆくのは彼の報告で知っていたけれど、それほどであったのは本当にビックリである。

アニメや漫画が好きで、声優になりたいと言っていた妹は、読書をする人となっていた。

マンガや画は変わらず好きであるようだが、ラノベは卒業したようで、今はアメリカ文学に手を伸ばし始めていた。

しかし色々悩みがあるようで、その辺りを聴きだそうとしても以前のように素直に話してくれなくなった。

僕も彼女の表情を窺いながら言葉を探す作業を行っていた。もう子供ではないのだなと改めて感じる。

彼らは、流行からは少し外れてはいるけれど進むべき道は間違っていないように思う。

もう少し大きくなったら、もう田舎には来なくなるだろう。その日も近い。

ヒーローごっこも、ばか話もできなくなって寂しいけれど、これが成長なのだと思う。




そこにあるものは。

2013-05-04 16:20:10 | 日記
母親が我が子を2階から落とすという事件が目に付いた。此処の処このような類の事件が多いような気がします。

そこで思った事を少しだけ述べておこうと思います。

我が子を殺める。その理由は様々であるけれど、殺める動機はおそらく「私にとって不都合」だからではないでしょうか。

生んだ子の存在が母親にとって不都合なのだから、存在はそう思われた時点で否定されており、その気持ちが肥大化すれば、欲望が暴走するだけでしょう。

もし精神的に追い込まれていたら罪の意識は希薄になっているかもしれないけれど、殺意を抱くのは一瞬でも「私にとって不都合」と感じたからなのだと思う。その気持ちが少しずつ蓄積されていった結果かもしれない。

私達はこういう時「そこに愛はあるのか?」と言う問いかけ方をします。

我が子ならば「愛がある」はずだと。

でもです、私達が日ごろからよく見聞する「愛」とはいったいなんでしょう。

jpop等でもよく歌われる「愛」。それが永遠であり不変であるならば破綻しないはず。

でも、離婚しますよね。慰謝料も請求しますよね。永遠ではなく変化するものなら「愛」とは言えないのではと思うのです。

その時「愛が冷めてしまった。」という言葉をよく聴きます。でも「愛」は永遠であり不変なら「覚める事はない」でしょう。

屁理屈かもしれませんが、よくよく考えるとそういう事ではないかと思うのです。そこから導き出されるのは、私達は「愛」という言葉を記号や印象位にしか分かっていないという事です。

もし、イエスの説かれた「愛」というものを理解したら、「吾はイエスと『同視座』にある」と思うでしょう。

それが傲慢であり驕りなのだと思う。

もし誰かが「私がイエスである。」と宣言し、群衆を巻き込み始めたらその暴走は止められなくなる。争いが生じ多くの人の命が亡くなるでしょう。カルト教団なんかが、そのような形を成していますよね。

未だに争いの絶えない世界を観たいると、イエスの説かれた「愛」は生涯を掛けても理解しがたい問いなのだと思います。だから「わかりたい」と願うこと、分かろうと努力する姿勢が大切なのではないかなと思うのです。

そう考えると「愛」とは「分かろうと努力する力」なのかもしれません。

相手を分かろうと努力している間は「怒り」よりも「分かりたいな」という考えが先行しているから、感情の暴走は抑制されるのではないでしょうか。 平和とはこの積み重ねなのではとも思うのです。

でも、感情が先行し暴走してしまうのは「分かろうとする努力」よりも「私の思い通りにならない」という感情が勝ってしまうからなのでしょう。

つまり、私達が「好きとか嫌い」という嗜好性を「愛」だと思い込んでいる間は、邪悪な愛が世の中に存在し続けるのだと思うのです。

もし、我が子を分かりたいという気持ちがあれば、「愛」が何だか分からずとも邪悪にはならないのではとも思うのです。




憲法記念日。

2013-05-03 16:40:40 | 日記
新聞を開けると、「改憲か護憲か」という類の記事が多い事に気づいた。そうか今日は憲法記念日でお休みの日なのか。

そんなわけで、今日は記事をざっと読んで思った事を述べておこうと思います。

改憲を望んでいる自民党案を読んでみると、共通して言える事は「自我肥大を法をもって抑制する」ことなのかなと思いました。

憲法9条に関しては「物を生産し輸出しエネルギーを輸入し続けてることで体を成している島国としては、軍事面も先進国として他国と強調しなければ、批判を浴び経済も衰退してゆく」のではないかという危機感みたいなものを感じたのです。

「自我肥大を抑制する」理由は、法をもって、行き過ぎた個人主義を留まらせ、公共性が育み、治安を回復させ、社会問題を解決に導きたいという考えなのでしょう。

9条は「時には個人の命より大切なものがある」という思想の選択を外から迫られているのだと思う。

専門家でないから難しい事は分からないけれど、改憲を望んだ発想の根源はこんなところなのではないでしょうか。


憲法が改められてから66年。成長が早すぎたのかもしれない。

構築されたものを再構築しようとする場合、増築ではなく破壊という手続きを踏んでから再構築しなければ、未来に繁栄を及ぼせないのかもしれない。歴史はそのように動いてきているようですし。

そう考えると、改憲は時代が希求するものなのかなと思うのです。どんな未来が待ちうけようとも・・・。


負荷領域のデジャヴ

2013-05-01 17:27:33 | 日記
『目ざましテレビ』のみどりの窓口というコーナーでその存在を知ったアニメ「シュタインズ・ゲート」

アナウンサーの松尾翠さんがとてもヘビーな感じで紹介していたのでとても気になり、その日のうちにレンタル店へ・・・。

足早にアニメコーナーに行くと、1巻と2巻はすでにレンタルされていた。これは想定範囲内である。

試しに3巻と4巻をレンタルし観てみると、翠さんの弾けっぷりに頷ける。でもなぜか違和感を感じる。

しかし面白いことには変わりない。5巻から9巻までを借りてじっくりと鑑賞。

ストーリー展開が実に面白い。フラグ回収もさすがである。でも、違和感を拭い切れない。

そういえば劇場版という形で紹介されていたな。最寄りの劇場を調べると隣県である。

仕方がない。此処は一気に完結を目指そう。

劇場に足を運ぶ。久しぶりの劇場であるが、なんだかアニメ好きの若者ばかりで少し気が引ける。

怯むことなくチケットを購入。驚きの整理券付きである。(笑)

劇場版を鑑賞してみると、これもまたなかなか面白い。しかしストーリーが進むにつれ抱いていた違和感が何なのかが分かった。

このストーリーのタイプは「うる星やつら」にあったことを思い出した。当時映画館で観た記憶がよみがえってくる。

劇場にいる若者はあの頃の僕と同じくらいである。したがって「うる星やつら」を知っている可能性は低い。

作り手の人達はある程度意識したのではないかと思うけれども、彼らにとっては新鮮なのであろう。

DVDを観た時から、押井守さんのイメージが浮かんでいたのだけれど、花井十輝さんの年齢を知ってなるほどと思った。

そして、時代は新しいステージへと移行しているのだなと一人でひそかに感心していたのです。