昨日のブログのコメントにあるように、昨日着物の似合う二人が
遊びにきた。うちのお店も古色蒼然として、まだまだ昭和の息吹が
ただよっているけど、その二人も、負けずに「昭和」だった。
30年前まで住んでいた文花のアパートを探しにきたが見つからない、
ということだった。ちょうどその時に、この街で生まれ育ち、60有余年
もこの街で生き暮らし、東に病気のおじいちゃんがいれば、飛んでいき、
がんばれと励まし、西に足が悪くて銀行にいけないおばあちゃんがいれば、
おれがいってやる、といって、自腹でタクシーにのって、貸し金庫の中の
ものをもってきてあげる、そんな男になりたい、けど、きっと誰もなれない
くらい、親切な経師屋さんが、座っていた。ので、なんとか、見つかったみたいだ
。
でもきっと、昭和の時代というのは、みんなお金もなかったけど、
今よりも、みんなで力をあわせ、明日に向かって、希望をもちながら、
生きていた時代だ。
十間橋通りは、最近「ほぼシャッター通り」になりつつあるけど、まだまだ
ここに住んでいる人たちは、いい人がたくさんいて、いい。
遊びにきた。うちのお店も古色蒼然として、まだまだ昭和の息吹が
ただよっているけど、その二人も、負けずに「昭和」だった。
30年前まで住んでいた文花のアパートを探しにきたが見つからない、
ということだった。ちょうどその時に、この街で生まれ育ち、60有余年
もこの街で生き暮らし、東に病気のおじいちゃんがいれば、飛んでいき、
がんばれと励まし、西に足が悪くて銀行にいけないおばあちゃんがいれば、
おれがいってやる、といって、自腹でタクシーにのって、貸し金庫の中の
ものをもってきてあげる、そんな男になりたい、けど、きっと誰もなれない
くらい、親切な経師屋さんが、座っていた。ので、なんとか、見つかったみたいだ
。
でもきっと、昭和の時代というのは、みんなお金もなかったけど、
今よりも、みんなで力をあわせ、明日に向かって、希望をもちながら、
生きていた時代だ。
十間橋通りは、最近「ほぼシャッター通り」になりつつあるけど、まだまだ
ここに住んでいる人たちは、いい人がたくさんいて、いい。