メニューにないもの、きまぐれに季節の蕎麦などどを、黒板(緑板?)に書いて
いる。若い人たちには、メニューをめくるよりも、そちらから注文する人が多い。
昨日は近所に住み始めた若者5人が蕎麦を手繰りにきた。
「薬膳カレー蕎麦」がふたり、「とろろそば」がふたり、「梅おろし蕎麦」がひとり。
新しいメニューの三種盛り、といった感じだ。
そのとなりに「のりべんがれっと」というのを書いた。若者から「のりべん、ってなんですか?」
と質問がきた。時代がかわったのか?「のりべん」「ぼぼぶらじる」が通じない時がある。
昨日の「タイムドメイン」では、炭火でかつおの燻製を焼いた。日本酒がグビグビいけた。
燗酒の美味い季節を迎えた。天寶一のぬる燗でそばがきを食べると、死んでもいい、と
思う。昨日実験的にお客さんに「カレーそばがき」を食べてもらった。なかなかいい感じだ。
蕎麦はルチンなど大事な栄養分がお湯にくぐらせる時に流れる。のでそれを「蕎麦湯」として
猪口にもどして飲む。そのてん、そばがきは全部の栄養を無駄なく摂取できる。千日回峰行の
断食の前は、そばがきを食べる。それの薬膳のカレーを入れたら、鬼に金棒かもなんばん。
さて、今日は「花のお稽古」。千利休さんは「花は野にあるように」とのたまった。
自然体というのは、言うには簡単だが、「生き方」の問題になるので、簡単に納得したり実行
できる次元の話ではない。自然の中で生かされている「命」に向き合うこと。
お茶やお花は、そんなことを学ぶヒントをあまた教えてくれる。日本人に生まれてきた原点に出会える
「道」。
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