今日の夜は「普茶料理風蕎麦懐石」のご予約が入っているので、
インヨガの道場(昨日)使用になっている二階を畳使用に変更にいった。
片隅に、立て花用の花器が置いてある。たまちゃん、といっても三味線のたまちゃん
じゃなく、華道を習いにきているたまちゃんの花器で、そそうがあって破損している。
金継ぎを依頼された。昔から大事な花器や茶器や普段使いのお気に入りの器がかけたり
したら、金継ぎをしてまた愛用する、というのが日本人の知恵だ。
その姿を見て、音楽評論家の吉田秀和先生の名セリフ「ひびの入った骨董品」
という言葉を思い出した。ピアノの巨匠・ホロヴィッツの晩年の演奏をそう評した。
火曜日に、題名のない音楽会、というか出演者を伏せたい音楽会を天真庵でやった。
縁のある人が20人集まった。演奏者は3人。譜めくりひとり、わたくしたちを入れて
26人の「一期一会の音楽会」。
うらぶれた下町の古色蒼然とした狭い空間の中で、演奏者もお客さんもスタッフも、
一緒になって陶酔していく様を体感しながら、「窯からでてきたばかりで、貫入もひびも
入っていないけど、これから名品になっていく名品の誕生」みたいなものを感じた。
今回のコンサートほど、お断りした人数の多さはなく、より多くの人に同じような
感動を味わっていただきたいと思ったことはないけど、演奏者もスタッフ側も、
利害得失を抜きにして実現しているからこそ、まる裸の感激があるのだと思う。
今後の天真庵の指針にしたくなるような、そんな有意義なイベントだった。
昨日は茶の先輩宅でお茶会。「立礼」のお手前でおいしい煎茶をごちそうになった。
母堂様がお花の先生だったので、お庭にはたくさんの椿の木があって、手入れのいきとどいた
松やツゲの木とのバランスがとてもよかった。先輩の土鍋で調理されたビーフシチューの味も
慈悲深く、この上なき「おもてなし」を頂戴した。
今日は「無茶しぃ」に熱心に通ってこられている茶仲間が二階で、「普茶料理風・・」
をやってくれる。「普く大衆に茶を施す」という意志をもって、隠元禅師が日本に伝えた「普茶料理」。
道元禅師の「典座教訓」と同じように、「食べることは、生きること」という真実に満たされている。
茶も美味いけど、般若湯がまた一段と美味い。たまらん。
来週の木曜日は京都の好日居でお茶会。日々是好日。
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