昭和55年に京都で買った「京焼きのおちょこ」は、入院中に
高橋義孝先生の本を読んでいて、その中に「酒は薄手の白磁に限る」
ようなことを書いたあったのを読んで、それに近いものを求めた。
京都時代は、荒神口にあった「安兵衛」でよく飲んだ。酒は名誉冠。
薄手の白磁の徳利とちょこ。つまみは「薄揚げと豆腐といぬき卵」で、3合は飲んだ。
空になった徳利をカウンターの前に並べるのがならわしで、バイトの給与
が入った夜なんかは10本並んだ。今は昔だ。いっしょによく飲んだ飯田くん
が今年仕事で上京した時にお店で蕎麦を手繰った。いつもは「そば前」を飲む
のに「?」と思っていると、脳こうそくをやった、という話だ。来年はみな還暦なので
京都で集まろうという話になった。そこでよく飲んだ北海道の親友や法律相談部でいっしょ
だったくんも鬼籍に入ったという。60まで元気でいれることも奇跡かもなんばん。
東京にでてきて、池袋に住み、よく飲んだ店が大塚の「江戸一」。おでんではないけど、
カウンターがこの字になっていて、白磁の徳利とおちょこで飲ませ、空いた徳利を
並べる、というスタイルが似ているせいで、よくいった。不思議な縁だけど、高橋義孝先生が
ここの常連だったことを後で知る。彼の著書「飲み喰いのこと」とかいエッセーを読むと江戸一
のことが書いてある。
江戸一の主人もおない年で来年の申年で還暦だ。ときどき大塚から自転車をこいで
蕎麦を手繰りにきてくれる。先月は電車できた。「寄る年波で・・・」とのこと。
シャンソン歌手のえりちゃんは時々大塚から歩いて蕎麦を手繰りにくる。
来年は、ぼくもジョギイングで江戸一に「白鷹」を飲みにいこうかしらん。
新人さんの「年末年越し蕎麦打ち大会」は、お陰さまで満員御礼とさせていただいた。
昨日、奇人の常連が蕎麦を食べにきて、「31日に卵焼きをふたつ焼いてほしい」というので、
「そんなもの自分でやったら」といったら、「自分のではおせちにならない。天真庵のをおせちにしたい」
というので、了承した。確かに「卵焼き」も伊達巻ほどはなやかではないけど、おせちになる。
「それにこの「いぶりがっこ」があれば、鬼に金棒のおせち」といって、がっごも買って笑いながら帰っていった。
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