長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

今日は日曜日 日曜日は16時閉店 それから、コラのライブ

2013-01-20 08:15:31 | Weblog
20日(日) Accoraコンサート

演奏:坂入康弘(コラ)・岩城里江子(アコーディオン)

19時開場 19時半開演 ¥2,500(蕎麦・珈琲 付き)

超満席だけど、今日は不思議なライブをやる。


昨日は、「チビたちを偲ぶ会」をささやかに開催した。
雪の日に、チビチビたちの母親・チビと、チビの嫡男で残りものに福
がある「福」が、旅だった。

一昨年の「墨田ぶらり下町音楽祭」の時、近くに生まれたばかりの野良猫
がいて、オーボエのカヨちゃんちで飼うことになり、「音符」
と名付けられ、幸せに家猫に出世して暮らしている。音符には
兄弟がいる、という近所の有力な野良情報が聞こえてきたころ、うりふたつ
のネコが天真庵の軒先に現れるようになった。微妙な距離感を保ちながら
「休符」と名付けられ、常連の名医の行為で去勢手術をし、半野良兼看板猫
よろしく一宿一飯の恩返しを繰り返しているうちに、少し小柄だけどチャーミング
な牝猫・「チビ」をつれてきた。昨年の夏に小さいチビの腹がご懐妊のおめでた
で、台風の夜に、「おじゃまします」と4匹の子猫をつれてきた。

父親はさだかではないが、「休符」が「レンタルおとうさん」よろしく子育て
を孤軍奮闘しながらやってきた。「麻呂がはだかでまろはだか」の「麻呂」
をあわせて7人家族になった。子供たちは3匹が、やさしい里親のもとに嫁ぎ、
残りの福も今月の18日に嫁ぐ予定だった。その寸前の雪の日に母親と旅だった。

麻呂と休符だけになった。休符はまだ信じられない様子で、うちと裏の大家
さんちの玄関で「どこにいるの」と悲しい声で鳴く。雪がまだ残る寒中の
声が、なんともさみしい。人も猫も、犬も、虫も・・・生きとし生けるもの
はみな無常の中に生きる。

初しぐれ 猿も小蓑を 欲しげなり   (芭蕉)

明日は「易の勉強会」

明後日は「お仕覆」

水曜日は「落語」


珈琲を艶っぽくするには、都々逸(どどいつ)をやらないといけないかも?

2013-01-19 08:30:37 | Weblog
昨日は「ダメから始める中国語」
日本と中国は、外交で微妙なところにきているけど、
どうぜ命をかけるんだったら、戦争よりも文化の交流を
やったほうが、賢明だと思う。

昨日は先生に二階の「木庵」の書を見て解説してもらった。
中国から隠元和尚が日本に命からがらやってこられ、長崎から
上洛し、黄檗山万福寺を建立し、黄檗禅が始まった。その
意志を継いだ二代目が木庵禅師で、彼もまた中国人。
しんげん、かぼちゃなどをもってきて、普茶料理という
精進料理を広め、書や、お茶がそこから優美に広がっていった。

遊び仲間に 酒飲み仲間 苦労しとげて茶の仲間

昔、向島の料亭の女将にそんな都々逸を教えてもらったことがある。
人生の妙味が感じられていい。

こんな艶冶な都々逸もある

二階貸しましょ お望みならば 下も貸しましょ 後家じゃもの

いいね!
こんな風雅な気持ちになれば、一滴の黒い液体・珈琲が
琥珀色の艶っぽい液体に変わる。界隈の珈琲屋が「美味い!」
といわれるためには、向島の料亭で勉強しなくっちゃ。

クリックよりスナック、ドリップより都々逸(どどいつ)

こんな和菓子を食べながらお茶を飲む至福の時間

2013-01-18 09:12:17 | Weblog
水木とお店はお休みだったけど、午前中は「珈琲塾」
で、午後は「無茶しぃの会」で、大きな意味で「茶を楽しんだ」
午前中は、各自がいろいろな珈琲豆を焙煎し、サイフォンやドリップ
で珈琲の入れ方や、ブレンドのやり方などを勉強する。昨日は、マクロビ
の料理教室をやっている女子が、おいしいスウィーツをもってきてくれ、
みなで楽しんだ。

昼は、栗焼酎を飲みながら、蕎麦会。昨日は「角煮そば」。
寒い日にあたたかい蕎麦を食べると、酒がすすむ。
午後は、栗蒸し羊羹と、星野村の玉露を飲む。昨年末から
飾ってある木庵の額を見ながら煎茶を飲んでいると、禅寺で座禅
をしているような静謐な時間が訪れる。粒々皆辛苦の一滴。

禅寺ではないけど、亀戸までいく途中に真言宗のお寺があって、そこに
「冷温自知」と書いてあった。水が冷たいか温かいは、手を入れて自分で感じろ、
と説明している。まさにまさに。

無茶しぃの会が終わって、表参道の茶室へ。自分のお稽古。
上林の煎茶を入れる。お菓子は「若草」
不昧公の歌から命名したという「若草」は、やわらかい求肥に黄緑色の衣がかかっていて、
芽吹きを感じる。正月の飾りにつかう「ゆずりは」と同じく、新しい年、新旧の交代、などの
縁起を感じる。不昧公がこよなく愛したお菓子に「山川」というのもある。日本三大銘菓のひとつ。
えらい人がでた土地には、必ず銘菓があり、お茶の文化が残っている。
押上にどれだけ根付くかはわからないけど、精進していきたいと思う。

今日は「ダメ中」
名古屋からまいこ先生がニーハオと笑顔でやってくる。
まいこ先生の姉上も味噌作りに名古屋からやってくるらしい。
今年も「女時(めどき)」女子が元気だ、お茶が美味い。

栗蒸し羊羹と栗焼酎

2013-01-17 08:13:40 | Weblog
昨日は今年初めての「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」
焙煎の教室も佳境を迎え、一滴一滴の「艶やかな液体」
を抽出するための精神的な領域まで踏み込んできた。
「粒々皆辛苦の一滴(ひとしずく)」

一年のはじまり、事始めの茶事を、煎茶道の世界では「初煎会」
という。珈琲の焙煎も同じく「初煎会」である。


昨日は「栗蒸し羊羹」と星野村の玉露と、栗焼酎などをいただき
ながら、みなさんの「今年の夢」を語り合った。
今年は「お茶会」が各地に広がっていきそうな気がする。

昨日で締めきりになったけど、今年の「味噌作り」も大人数。
これまで、外国から安いものが入ってきて、不況だけど、食べる
ことに不自由はしなかったけど、今後は円安と物価高になり、
自力で安全なものを確保する必要にせまられる。

「毎朝食べる味噌汁の味噌」くらい安全なものを、というのは
当然の動きではなかろうか。

今日も「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」
織田流煎茶道の「初煎茶会」には出席できなかったけど、
今日の夕方は、表参道の茶室に顔を出す予定。

明日は「ダメ中」
20日の「コラのコンサート」
は、満員御礼。

雪とまだまだ葛藤

2013-01-16 09:01:19 | Weblog
昨日は「英語で蕎麦会」
足元が悪い中、元気なエイゴ女子たちが集って
楽しい英会話。あまりに盛りあがって、最終電車ぎりぎり
まで談論風発。大分の焼酎を蕎麦湯で割ったらうまかった。

今日明日はお店は休みだけど、「卒啄珈琲塾」と「無茶しぃの会」
をやる。
明日は自分の「煎茶のお稽古始め」でもある。
今年は「普茶料理」にも磨きをかけようと、奮闘中。

今朝もお茶の準備をしようとお店にいったら、屋根の雪
が落ちそうになっていた。さっそく手の届く範囲で雪を落とす。
見ていた幼稚園生が「がんばれがんばれ」とエールをおくって
くれ、五十肩を克服したばかりの肩をあげて、雪を落とす。
あまりはりきりすぎて、自分まで落ちそうになったりしながら・・

昨日はチビとふくが神に召された。
大家さんとことといっしょに、葬儀屋にきてもらって、弔った。
短い一生だったけど、いろいろな元気をもらった。
生きていく、ということは、人も猫も大変なことだ。天恩感謝。

英語で蕎麦会

2013-01-15 09:03:51 | Weblog
今朝は雪かきが、蕎麦打ちよりも優先だった。
昨日はお店の周りを3回やった。ので今朝はあまり積もって
いなかったけど、凍てついている。炭をおこして、やかんを
おいて、あたたかくなったお湯をまく。

露天風呂でも入りながら雪見で一杯なら、風情もあるが、都会
で遠いところへ通勤する人たちにとっては、大変な一日。
くれぐれも、足元にご注意。脚下照顧(きゃっかしょうこ)、
自分の足元も照らしながら、一歩一歩確実に歩いていかないと、
何があるかわからないような時代の象徴的な「雪」でもある。

今日は「英語で蕎麦会」
遅刻をしてもいいので、気をつけておこしください。

明日明後日は定休日。
でも午前中は「卒啄珈琲塾」午後が「無茶しぃの会」

金曜日は「ダメ中」


おもしろすぎる時間 月曜日の朝 卵かけご飯中

2013-01-14 08:05:36 | Weblog
昨日の「蕎麦打ち教室」と「なんとなく蕎麦を喰う会」も、時間をわすれる
くらい、おいしい時間が過ぎる。
今日の天声人語に「おとなになってから時間が大股で過ぎていくのはい、
感動することが子供のころより少なくなるから」みたいなことが書いてあった。
いいえて妙だと思う。五感で感動したり、体が震えるくらいワクワクするような
ことがあると、時間がとまってしまうものだ。
二階ではお茶とお花、かっぽれをやっているけど、昨日は「普茶料理みたいな
蕎麦会」を初めてやった。お客は、おてんばだけど「少し茶のこころえがありま~す」
といった女子たちなので、木庵や慈光の書の話などをしながら、談論風発。
初煎会のような素敵な茶事ができた。

昨日はお店にきた男子と、ブログでも「蕎麦打ちをやりたい」という声を聴いたので、
4月くらいに、「蕎麦打ち男組倶楽部」を発足したいと思う。

2月の日曜日は「味噌つくり教室」とライブで日程がうまっているし、3月は
天才ノビたちのライブがあって、日曜日があいていない・・・ので。
7月の大石さんのライブ、林太郎くんのライブもだいぶ埋まってきた・・
*味噌つくりは、すごい人気なんやけど、明日までに連絡くれたら、「入れる」
かもしれない。

明日は「英語で蕎麦会」


水曜日・木曜日は「卒啄珈琲塾」と「無茶しぃの会」

花婿修行になりそうな会が多いけど、大半が女子なのが厳しい現実。


普茶料理みたいな蕎麦会 不思議な料理教室

2013-01-13 08:12:37 | Weblog
今日は16時で閉店。

16時半から「蕎麦打ち教室」をやる。その後18時半から「なんとなく蕎麦を喰う会」
普茶料理と煎茶を楽しみたいと思う。
普茶料理とは、黄檗山万福寺をつくった隠元和尚が、中国から伝えた
精進料理で煎茶と一如の切っても切れない料理。
蕎麦も古い文献を読むと、お寺から始まったと思われる。
「蕎麦」はもちろん、「蕎麦豆腐」「そばがき」なども、立派な精進料理でもある。
天真庵が始まって、始めて二階の茶室で蕎麦会をやる歴史的な日になった。
黄檗山の初祖・隠元和尚や二代の木庵、55代慈光の「洗心」などの書が飾られた
二階の茶室で、茶味禅味ついでに酒味まで堪能したいと思う。

今週の16日、17日の午前中は「卒啄珈琲塾」午後は「無茶しぃの会」。
この会は終わった後に、軽く蕎麦にかかわる料理をだす。
もちろん、作り方も伝授。
蕎麦屋というのは、何種類かの「かえし」をつくる。そのかえし
は「万能の調味料」なので、料理は工夫すれば融通無碍、まんだら世界。
昔から蕎麦屋の「酒肴」が美味い、所以である。

質素だけど、自然の恵みを感謝しながら食べる。
普茶料理とは、「普く(あまねく)大衆に茶を施す」
から命名されたものだ。
「おいしいものを食べる」という時代から
「おいしく食べる」という時代になるのが21世紀。
おいしく食べるコツは「いい友達(気のおけない友)と食べる」のが一番。
いい友達を持つには「自分がまずいい友達になること」だと思う。

明日は「卵かけごはん」
明後日の夜は「英語で蕎麦会」

夜の学校で、がっこを喰う。

2013-01-12 08:11:51 | Weblog
昨日、今年初の「いぶりがっこ」が届いた。
うらぶれた十間橋通りで、「酔香」(すいか、じゃない。すいこう)というお店をやっている女将さん
が毎年親戚のつくる「がっこ」をわけてくれる。
スーパーで売ってる「がっこ」とは格好も香りも歯ごたえも違う。
これをポリポリ食べながら(もちろん、適当な太さで切る。こと適当というところも
気をつけたいくらい美味い)、酒を飲むと、3合はいける。
この季節は木曾からも「あかかぶ」が届く。これも3合はいける。
昼間にうちにきて、「酒三合、つまみはあかかぶ」といって飲んで、その後
酔香で「酒三合、つまみはいぶりがっこ」と梯子をしてみるといい。

夜は「ねんど」だった。昨年二十歳になってお酒解禁の女子と、あと10年
の小学校5年生の女子たちと、楽しく談論風発(これは立派な女子会)しながら
事始め。玄米ひじきごはんとおかずはいぶりがっこ。これがうますぎて、そばが
少しあまった。田舎から調達した自然薯を温そばにしたけど、夜の学校ではがっこ
の方に軍配があがった。

玄米は、土鍋で炊くと簡単。明日の「なんとなく・・・」でも
やってみようか?と思う。原理原則にこだわっていると、料理も酒も珈琲
も、「それなり」で終わる。
これからは「それなり」を脱皮して、「これから」みたいなものがいい。

新年のブログに書いたけど、この半年くらい、いろいろなお店にいって「珈琲」
を飲んだけど、耶馬渓の「豆岳」で飲んだのが一番。
自然の中で楽しそうに自然にとけこみながら、感謝しながら珈琲を焙煎し、抽出
する姿勢に「人生のものがたり」が見える。
最近の珈琲屋さんは、格好はいい(せんずりみたいな格好だけど)し、うんちくや
知識は一人前だけど、味もマスターベーションみたいなところが多い。
自然の中で育まれてきたものに対峙するのは、己も自然によりそい、恵みに感謝
しながらふれあう、というのが大切だと思う。
粒々皆辛苦、なのだ。大根、かぶ、そば、米、珈琲・・・の一粒一粒に、それぞれ
いろいろな人や土や水や空気や・・・そんな無駄のない不思議なまんだらのようなつながり
(縁)が感じられてくると、人生が少しおもしろくなってくる。

へんな学校にいくより、がっこを喰いながら酒かごはんを食べるほうがいいかも。
クリックよりもスナック、か、居酒屋。弱い頭で推敲するより、酔香。

明日は今年から始まる「なんとなく蕎麦を喰う会」
隠元和尚が命がけで、大陸から渡ってきて始めた「煎茶」と「普茶料理」
を楽しんでみたいと思う。今年から日曜日は毎週16時で閉店。
元気におでない日曜日の夜を、元気にしたいと思っている。感謝。

そばもん そばの旅

2013-01-11 08:29:23 | Weblog
そんな人気のマンガがある。
今もやっているのか知らないけれど、10冊くらいは
読んだことがある。茨城の蕎麦屋で読んだのが始まりで、
しばらくはまった。その中で「対馬のそば」というのがあった、
のを記憶いている。

仏教や器や思想などは、中国や朝鮮半島から「海のシルクロード」
を渡ってきた。遣隋使や遣唐使は反対に日本から、それらを学びに
いった。海が荒れたり死を覚悟して往復した。その時に海の神様
をおまつりているのが「宗像大社」。「そうぞう」と読む人は想像力
が足りない。「ムナカタ」と読む。ぼくの田舎。宗像大社の神域に
あり、いたるところに宗像族の古墳が残っている。ぼくの実家の近くにもごろごろしている。

「そば」も大陸から対馬を経由して、入ってきた。でもたぶん界隈には魚や食べ物は
豊富だったので、日本海経由で北国のほうに伝授されていったというのが定説である。
でも対馬にはその当時の「そばの原種」が残っていて、友達がいつも年末におくってくれる。
今年は「なんとなく蕎麦を喰う会」というのを始める。13日(日)の18時半から。
ここで「対馬の蕎麦」を食べる。同じように中国から隠元和尚が長崎にやってきて、
京都の黄檗山万福寺をつくって、禅とお茶と精進料理を広めた。
「普茶料理」(ふちゃ)という。4人が座になって、大皿にのった食べ物をわけながら
食べる。ということで、「なんとなく・・・」の人数は4人までに限定したい。

今日から「事始め」
昨日は朝から晩まで仕込みにおわれた。近所の人に「明日からでしょ。なんで忙しそうにしてんの」
なんていわれた。性分ではあるが・・・
「かえし」を二種類つくる。蕎麦豆腐、チーズケーキ、珈琲豆の焙煎、包丁研ぎ、花生け、茶室の
掛け軸をかえたり、茶道具を入れ替えたり・・・一日かけてもおわらない仕事がいくつもある。

今日の夜は「ねんど」
蕎麦というのは「土を喰らう」というような野趣というか、自然の恵みを感謝しながら
命に紡いでいく、みたいな意味合いがある。ねんどは「土をこねる」
自分の手で、自然を感じる・・・・今年からこんなものがテーマになって、新しい生き方、
先人たちが伝えてくれた知恵みたいなものを体で学んだり、実践したりする時代がきたように
思う。

来月の「なんとなく・・」(24日)は、熊本の蕎麦を打つ予定。