忘年会の季節だ。昨日酒関係の仕事をしているみかんくんが、
愛媛のみかんを持って蕎麦を手繰りにきてくれた。若いけど、律儀で
礼節をしった青年で、みかんのようにさわやかな酸味もきいていい伊予の男。
どうも酒関係の話でいうと、12月になっても盛り場が閑散としている話が多いらしい。
世間ではアバノミックスとかいう浮ついた話や、江戸リンピックに向けてうんぬんなど、
絵空事みたいなバブリーな話が飛び交っているけど、結局いつもの懲りない面々
たちの欲に手足がついたような砂上の楼閣だけチラついているのが現状かも。
昨日はまた今年の夏に山形の古民家に移住して自給自足を始めた友達夫婦が
リンゴや野菜をもって蕎麦を手繰りにこられた。友の遠方より来るはまことにうれしいものだ。
みかんのおかえしにりんごをおすそわけ。原始的ぶつぶつ交換。お金を媒体にせず、こころ
がぐるぐるまわっていく。21世紀は、こんなことがキーワードではないかといつも思う。
あったかいお酒を徳利にいれ、さしつさされつで、談論風発。酒飲みは「左利き」という。
大工が蚤(のみ)を左手に持つ、という洒落からきている。♪私の私の彼は・・・ボリボリ・・ひだりきき・・からではない。
昔から座敷遊びに「トラトラ・・・オオ虎」・・というのがある。京都でも江戸も人気のあるお座敷遊び。
酒の実ののことを「虎」ともいう。これは、徳利をもって「ささ」とか「ささ、もう一杯」とかいう癖を見て
「笹」と「虎」をかけた洒落である。池袋に「笹周」という洒落た飲み屋があった。そこの鮭の焼き物で
酒を飲むと、桃源郷にいった気分になったもんだ。徳利・・・お金がなくても、徳のある人が利かすもの。
だれが命名したか知れないけど、そんな酒の文化を育みつづけてきた日本人の末裔の末席あたりで
おいしい酒を飲めることが幸せである。日々是好日。日々是わたくしの道場。
明日は「そば打ち教室」
今年は年越し蕎麦を自分で打つ人があまたできた。蕎麦はそもそも「寺方そば」といって
お寺で始まったという説もある。粒々皆辛苦の修行でもあり、一粒一粒の命に感謝する禅
みたいなもんやね。
月曜日は「論語の会」(順受の会)の忘年会。来年は「孟子」をやります。