初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

七草がゆ

2008-01-07 | 未分類


せり、なずな、ごぎょう、はこべら、仏の座、すずな、すずしろ


いつもは朝炊くのですが、昨日夫が初めてパン焼き機にセットしてパンを焼いたので今朝はパンにしました。


私の実家は七草粥に大きなお供え餅を切って焼いたものを入れていましたが、お餅が入ると少し食べ過ぎになるので今年は野菜の煮物と酢の物で食べました。


おせちを食べた胃に優しくとろとろ落ちていき胃腸を癒してくれました。


松の明けた7日に春の七草を食べる習慣は遠く平安時代からあった風習でその頃は汁物として食していたそうだ。


娘がPTAの役員の学習会で「四季折々の行事を子供と共に楽しむことは大切だ」と、習ったそうで私の子供時代と比べると子供達にはしてあげられないことも沢山あったと反省。


1月はお正月の行事、2月に入ると「寒の食べ物」寒餅をついたり、かきもちを作って保存食にしたり味噌を仕込んだりした。


今は温暖化でこの時期の水も腐るかも知れない。


2月は節分。母が炒った大豆を年の数だけ食べ、豆まきをする。


最近は恵方まきと言って巻き寿司を食べるが我が家は豆まきだけだった。


家族中が賑やかに撒いて後の掃除は大変だったろう。


3月はひな祭り。我が家には雛人形など無かったが母の友人の大きなお屋敷で部屋いっぱいに飾られたひな壇の前で菱餅、白酒、お寿司など数人の親がご馳走をして祝ってくれた。


私は我が家に無くてもひな祭りの歌を歌いながらこの上も無く幸せだった。


ただし、私はこの家の数歳下の娘さんの家庭教師を数年したが、この娘さんは脳の障害のためか学んだ事が覚えられなくて数年間私も共に悩み、何とか中学校を卒業した。


その後没落して東京に一家で引っ越したままだ。


4月の花見は近所の数人がお弁当を持って山に行き、酒盛りをして母達は酔って踊ったりした。いずこの家も父親は仕事。


盆を含む夏休みは母の兄弟の家を順番に回る。


いとこ同士、仲良く遊んだものだ。兄弟の多い母方の従兄弟が来ると大家族になり面倒を見るのは大変だったろうが、子供にとっては各家の料理を楽しんだり、料理の下手な叔母の家だと我慢して食べたり懐かしい思い出だ。貧乏でも海水浴、潮干狩りなど毎年連れて行ってくれた親に今は感謝だ。


土用のうなぎは兄が仕掛けで取ってきて家の前にたらいを置いてうなぎを放つと近所の人が取りに来た。


夏のおやつは大抵うなぎの蒲焼。たれに漬けてもヒクヒクと動き生きが良かった。広島に来るとうなぎが高く、驚いた。


秋になると山からお百姓さんがまつたけを売りに出てきて我が家の縁側はちょうど休憩に手ごろで、休むと松茸をお礼に頂く。


これが子供のおやつで私は焼いてゆずを絞って食べるのが大好きだったがこれも広島に来たら高くてビックリ。


クリスマスはもう雪が積もっていてシャレものの父はケーキを買って帰るのだが、私は甘いものが苦手で半分を大好きな近所のおばあさんに届けていた。木箱で作ったそりに乗って雪が降り積む中をサンタさんのように届ける。親はどこでどんな風にやりくりしてくれたのだろうとこの年で思う。


今日は七草粥の話が子供の頃にタイムスリップしてしまった。


長い話読んでくれて有難うございます。


あなたの子供時代の話、聞かせてね。