初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

1週間遅れの母の日

2008-05-19 | 未分類

 



 



(家の裏に咲いていた山野草、「アマナ」でしょうか?)


先週の母の日はショートステイだったので1週間遅れでプレゼントを持って行った。


プレゼントと言っても「お金」


数年前までは服や小物など使えそうな物にしていたが、今はお気に入りの青いカーディガン以外はなかなか着てくれない。


義姉が「もうボロボロで恥ずかしい」と、いつも言うのだけど洗うからと脱がせようとしたら抵抗して大変らしい。


瞬時にして忘れるから脱がせてしまえば大丈夫そうだが、大暴れしたり、悪態をついたり、これがアルツハイマーの特徴かも知れない。


今は手放せないものの中に「懐中電灯」「補聴器」「青のカーディガン」は三種の神器のように頭の中から離れないらしい。


これらを常に手元に置き、リュックに入れている。


私達が見舞いに行くとすぐに「パジャマに着替えさせて」と、言うので二人がかりで着替えをするが、その間にも「懐中電灯は?」「補聴器は?」と、都度確認しなければ落ち着かない。


これらをすべて目の前にぶら下げておきたい衝動に駆られるのは誰しも同じだろう。


私達は時々しか会わないので笑って合わせてあげることが出来るが24時間同居の兄夫婦のストレスは大変なものだろう。


義母の場合は「財布」が手放せなくて、トイレの時も診察の時も散歩の時もいつも携帯していたので病院内では有名になっていて医師や看護師さんがからかったりして楽しんでいた。


「私はお金だけが頼り」と、口癖だった義母ならではの最後の日々だった。


それは生きる気力に繋がるらしく、亡くなる前日まで持ち続けた。


不思議な世界だけど、私は一体何が手放せないか楽しみのような、不安なような。


母はまだまだ元気で長生きしそう。


自身も病と付き合いつつ介護する兄と変われるものなら替わってあげたいと思う。


「長生きをしてね」母の日の決まり文句だけれど、これからの時代高齢者に優しい時間が訪れる兆しが見えない今、何も言えなかった。


介護している兄夫婦へ感謝の母の日だった。


癌を克服した兄が今は腰痛で苦しんでいる。


ドライブも遠出は難しくなったようで気の毒だなあと、思った。