初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

ココロを扱う

2010-08-13 | 未分類

先日、精神科医の北山修さんが九州大学で退官の最後の授業をされた。


BSで放映された録画をやっと見ることができた。


北山修さんは40年前「フォーククルセダース」というバンドを組み加藤和彦さんやはしだのりひこさんと毎日のようにテレビに出て当時の音楽シーンを彩っていた人。


1年後突然の解散、本人はヨーロッパ留学したと聞いたが長くマスコミに顔を出されなかった。


 


10数年前、病気で思いもよらぬ退職をした時私の人生設計が大いに狂い始め身体も心もズタズタになってしまった。


その時、カウンセリングを1年近く受け少しずつ心や身体が動き始め私なりの行く道を探し始めた。


一年間悩んだ末に決意したのは「カウンセリングスクール」で心理学、カウンセリングを勉強しようと言う事だった。


当時月謝一万円のカルチャースクールは高くて一年間猶予を置いた。


それでも折角リタイアしたのだから自分に投資して技術を身につけ何かのボランティアをしようと考え新聞に募集が出てすぐに申し込んだ。


最初の一年は座学が殆んどで難しいけれど何とかがんばる事が出来た。


2年目から3年間は専門コースでカウンセリングの実習が殆んどでその間に特別講習がある。


実習は自分の番が来ると?全く見ず知らずの健康な人?決められた場所で?決められた時間?録音してテープ起しする。と言う厳しい決まりがあり、その出来上がったテープを聴きながらまな板の鯉のようにみんなからアドバイスを受ける。


普段は優しい教授もこの時は厳しい。


心臓は止まりそうに早くうち、言葉を磨いている人の集団だからみんなのコメントも心に突き刺さるように厳しくぐったりと疲れてしまう。


その時、私は心が健康では無い人にあたり、悩みすぎて十二指腸潰瘍になって教授に怒られてしまった。


自分の無知でクライアントが病気を抱えている事が判らなかったからだ。


2度目の時もやはり心に問題を抱えていた人で危うく自分が病気になりそうだった。


「君はカウンセラーには向いていないよ」と、正面切って仲間に言われた時もかなりショックで(勿論カウンセラーにはなれないのですが)勉強やめようかなあと思った時季もあったのですがみんなでビアガーデンに行ったり季節ごとに飲みに行ったりする中で思いなおしては「もう少し付いていこう」と思ったものです。


そんな時、特別講習で北山修さんが講師で来られると聞きちょっとミーハーな気分で受講したら、以外にもすんなりと理解したように思い(自分では)これはもう一度復習をしなければ」と勢いで本を買ってサインをして貰うべく列に並んだ。


私も折角だから質問しようと思ったら私の前の人が「先生、もうTVでは歌わないんですか?」と聞いた。


一瞬手を止めて北山さんは「君、ここはカウンセリングの勉強をしに来たんでしょう。カウンセリングに関する質問以外は受け付けない。TVに出ることも無い」と、険しい表情で言い放った。


そう言えばその日の講習はいつも卒業生はお金を払えば参加できるのに偉くシャットアウトして誰も入れない状態だった。


その時怒った北山先生の事が妙に気になっていたが先日の放映でやっと理由が判った。


あれだけ毎日TVを通じて見ていた彼があっという間にマスコミから消えた理由。


医師への道を歩んでいた彼がヨーロッパへ留学し、そこでフロイトの精神分析に出会いその道を歩み始めた事。


それまで、自分の作った歌は友人や個人の為に作ったのであり、不特定多数を相手にするマスコミに載ったおかげで歌が自分からはなれ最初の意図が伝わらないのではないかと思い始め、反対に心を扱う精神分析はその心の裏側を扱うパーソナルコミュニケーションであり自分でなければ出来ない仕事でありそちらが比較にならないほど楽しいから精神科医への道を選んだそうだ。


だから、私達の講義のときに謙悪の意思を現したのもよく判った。


今回の最後の授業で何度も言われた「言葉の重要性」についてもあの時話された事とすこしもぶれていない。


ただ、買った本は超難しくてまるで歯が立たなかったが。


私には要のその言葉の言い回し(ボキャブラリ)が多くなくて本当にカウンセラーとしては失格です。


先生によっては映画を見に行かされたり、本を沢山読みなさいと言われたり・・・沢山の言葉の言い換えが出来なければ感情を言い当てる事が出来ないからです。


そういう意味では作詞家であった北山修さんはピッタリの職業であったのだと思います。


私は専門コースを卒業してからも病気をするまでの数年間仲間と勉強会をしていたのですが通えなくなってそのままです。


今でも思い出すと冷や汗の出るような時間、それがTVに出るより面白いと言ってのけた彼はずば抜けて語彙の豊富な人物だったと言う事でしょうか。


それと、TVに出ない大きな理由は精神科医としてクライアントに不安を持たせないことだと言われます。


最後の授業の中で「精神分析の領域は大勢を相手にするマスメディアと違って人の心の裏を取り扱う、人間にしか出来ないパーソナルコミュニケーションとしてこれから先もずっと残っていく仕事だ」と豪快に笑ってみせました。


これからはTVにもどんどんでられるかもしれません。


歌もですが精神分析の話も大いに期待したいと思います。